広島ゆかりの人たち -歴代広島県知事-

  歴代広島市長、歴代広島城藩主とくれば歴代広島県知事を知りたいと個人的に思ったのですが、これが意外と厄介な作業となっています。
広島市長、広島城藩主に関しては新修廣島市史にそのまんまというか資料がまるまるあったので主として参考にし他資料で僅かに味付けしたのです。しかし、県知事となると広島県史などをざっと図書館で見たところ県会議長や県会議員は一覧表で掲載があるのですが県知事は一覧では探せませんでした、ということで中国新聞発行『広島県大百科事典』を借りてきて“広島県歴史年表”から県知事記述部分を抜き出してみることにしたのですが、今(2008)年購入してみていると歴代県知事の一覧表がありました。
2011年になって広島県のHPに歴代知事を紹介するようになりました。その資料には、当時は知事という名称ではなかった、河野敏鎌を初代県知事としていました。
わたしのこの頁では、広島県知事という名称をあたえられた千田貞暁を初代としていますので、代数が違っています。
2013年のいまになりましたが、広島県の(行政的に)トップであった河野敏鎌から伊達宗興を加えこの頁を更新しました。
ただ県知事の代数に関しては(わたしが思う)県知事の代数は変えていません。
※まだ中途半端な頁ですので誤記・誤字もあると思いますのでご容赦願っておき御指摘、御指導よろしくお願いいたします。
廃藩置県 1871(明治4)年7月、全国の藩を廃して府県を置いたこと。これで中央集権的統一国家が確立。
当初、北海道を除き3府302県(沖縄県の設置は1879年)、年末までに3府72県となる。
けんれい
県令
1871(明治4)年廃藩置県によって県に置かれた長官の呼び名。
1886(明治19)年に知事と改称。
ごんれい
権令
(県令に次ぐ県の地方長官。)1871(明治4) 年11 月県治条例で県令又は権令とすることになり、政府における官等が四等官のものを県令、五等官のものを権令といいます。
1871(明治4)年権知事を改称して置かれ、1878(明治11)年に廃止されました。
ちじ
知事
都道府県の長。1886(明治19) 年地方官官制の改革で、その呼称は知事と改められました。
当該の都道府県を統轄・代表し、都道府県の事務およびその権限に属する国や他の公共団体の事務を管理・執行。任期四年、公選による。明治以降、官選による地方官として設けられていたが、1947(昭和22)年地方自治法の制定により現行のものとなりました。
藝術分野 民間・文化分野   政治・軍分野  建築分野 スポーツ分野  (明治以前)歴史分野
歴代広島城主 歴代広島県知事 歴代広島市長  外国人編
※資料は主に広島県大辞典などを参考にしました。
15.12.18.追記   06.03.12裕・再編集









































































































































































































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麿


























   公選広島県知事は、(直接)詳細をご覧ください(上記一覧に記述していませんので)
官選知事(格)
こうのとがま
河野敏鎌
1844-1895
大参事〜大参事心得:1871(明治4)年8月15日-1871(明治4)年11月15日
土佐藩士。明治政府官僚、政治家。子爵。
1869(明治2)年大蔵省7等出仕、その後広島県参事などを経て1872(明治5)年司法少丞。欧州出張(1872-73)。帰国後司法大丞兼大検事。西南戦争(1877年)終結後臨時裁判所裁判長となり戦犯審理。1882(明治15)年大隈重信の立憲改進党創設に参画副総理就任。枢密顧問官(1888-1892)、農商務大臣兼司法大臣。内務大臣、文部大臣を歴任。1893(明治26)年子爵。
せんもとひさのぶ
千本久信
権参事:1871(明治4)年11月15日-1871(明治4)年11月25日
こうのとがま
河野敏鎌

1844-1895
参事:1871(明治4)年11月27日-1871(明治4)年12月26日
(上記)
だてむねおき
伊達宗興
1824-1898
参事:1871(明治4)年12月26日 - 1872(明治5)年8月27日
権令:1872(明治5)年8月27日 - 1875(明治8)年1月25日
和歌山藩士。官吏。本姓は成田。通称は五郎。
陸奥宗光(むねみつ1844-1897)の義兄。1862(文久2)年脱藩、公武合体運動、のち帰藩し、執政。維新後、広島県の参事、権令。
ふじい べんぞう
藤井勉三
1840-1881
(県権令→県令)
県権令在任:1875(明治8)1月25日-1876(明治9)2月23日
県令在任:1876(明治9)年2月23日-1880(明治13)年4月6日
長州藩士。1871(明治4)年藩費で欧州留学。
)1872(明治5)年敦賀県参事、1873(明治6)年権令に昇格。1875(明治8)年広島県権令、1876(明治9)年広島県令。
敦賀県時代から病気がちで、1880(明治13)年4月6日依願免官。
14.11.17.追記
せんださだあき
千田貞暁

1836-1908
県令在任:1880(明治13)年4月6日-1886(明治19)年7月19日
薩摩藩士。官僚。薩摩藩士傳治の長子に生る。
戊辰戦争に従軍。1880(明治13)年広島県令(明治19年から知事)となり、1889(明治22)年宇品港をようやく完成させた。その年(明治22)年新潟県知事に「左遷」※4。以後、1891(明治24)年4月9日-1892年1月15日和歌山。愛知。1892(明治25)年7月-1893(明治26)年11月京都府知事。宮崎の知事をつとめた。1898(明治31)年男爵を授爵。1904(明治37)年貴族院議員。1908(明治41)年肺炎のためなくなった。
関連頁 千田廟公園  宇品波止場公園
官選・広島県知事
せんださだあき
千田貞暁
1836-1908
県知事在任:1886(明治19)年7月19日-1889(明治22)年12月26日
(上記)
なべしまみき
鍋島幹
1844-1913
県知事在任:1889(明治22)年12月26日-1896(明治29)年4月23日
備前佐賀藩家老(鍋島藤蔭の養子、1868=慶応4年仮代官)。初名は貞幹。男爵(1895年10月30日)。
1871(明治4)年11月-1880(明治13)年10月栃木県県令。1886(明治19)年7月-1889(明治22)年12月青森県知事。1889(明治22)年12月-1896(明治29)年4月広島県知事。元老院議官。貴族院議員。1898(明治39)年4月1日勲一等旭日大綬章受賞。
関連頁 (厳島神参道:鍋島幹奉納)石碑 09.09.22追記
おりた へいない
折田平内

1846-1905
県知事在任:1896(明治29)年4月23日-1897(明治30)年4月7日
薩摩藩士。明治時代政治家。
1882(明治15)7月-1886(明治19)年7月山形県県令。福島県県知事。1889(明治22)年12月-1894(明治27)年1月栃木県知事。1896(明治29)年4月23日-1897(明治30)年4月7日広島県知事。1897(明治30)年4月-1899(明治32)年4月滋賀県知事。
あさだ とくのり
浅田徳則

1848-1933
県知事在任:1897(明治30)年4月7日-1898(明治31)年5月14日
東京出身。明治元年久美浜県書記。駐米外務書記生・外務省公信・取調・通商・会計各局長。弁理公使。神奈川。1891(明治24)年4月-1896(明治29)年長野県知事。新潟・広島の各県知事。外務総務長官兼官房長。特命全権公使。逓信総務長官等。貴族院議員(勅選議員)同和会。
いわむら たかとし
岩村高俊
1845-1906
県知事在任:1898(明治31)年5月14日-1898(明治31)年7月28日
土佐藩士。官僚。華族(男爵)。1867(慶応3)年 京都で陸援隊に入隊。 1868(明治元)年(1868年) 戊辰の役、北越に戦う。 1874(明治7)年佐賀県権令・佐賀の乱鎮圧。
愛媛県権令。 1883(明治16)年1月-1886(明治19)年7月石川県県令、1886(明治19)年7月-1890(明治23)年5月石川県知事。愛知県。1895(明治28)年4月-1898(明治31)年5月福岡県。1898(明治31)年5月-1898(明治31)年7広島県知事。勅撰貴族院議員
はっとり いちぞう
服部一三
1851-1929
県知事在任:1898(明治31)年7月28日-1898(明治31)年12月28日
官吏・貴族院議員。山口・長門生れ。東大法学部部長。文部省書記官。1900(明治33)年10月-1916(大正5)年4月兵庫県知事。
えぎ かずゆき
江木千之
1853-1932
県知事在任:1898(明治31)年12月28日-1903(明治36)年6月29日
岩国藩の出身。洋学者原田一道に師事。1896(明治29)年茨城県知事。1897(明治30)年4月-1897(明治30)年11月栃木県知事。愛知県。1898(明治31)年12月-1903(明治36)年6月広島県。熊本県知事。貴族院議員。1924(大正13)年清浦奎吾内閣で文部大臣。枢密院顧問官。
とくひさつねのり
徳久恒範
1844-1910
県知事在任:1903(明治36)年6月29日-1904(明治37)年1月25日
天保14年12月28日生まれ。肥前佐賀藩士。
1892(明治25)年8月-1896(明治29)年4月富山県知事。1896(明治29)年4月-1898(明治31)年7月香川県知事。1898(明治31)年-1903(明治36)6月熊本県知事。1903(明治36)年6月-1904(明治37)年1月広島県知事。1904(明治37)年貴族院議員。
09.09.22追記
やまだ しゅんぞう
山田春三
1846-1921
県知事在任:1904(明治37)年1月25日-1907(明治40)年1月11日
官僚・政治家。山口・萩生れ。山口藩士村岡忠治の次男、山田久充の養子。福島県、埼玉県、静岡県、広島県各知事。宮中顧問官、錦鶏間祗候。貴族院議員(勅撰)。日本赤十字社理事。1921(大正10)年9月13日歿、76才。
関連頁 比治山神社・標柱 08.10.16追記
むなかたただす
宗像政

1855-1918
県知事在任:1907(明治40)年1月11日-1912(明治45)年3月28日
政治家、官僚。衆議院議員、貴族院議員。県知事。別名:田村 政。熊本県出身。
1902(明治35)年2月-1903(明治36)年1月宮城県知事。1903(明治36)年6月-1907(明治40)年1月高知県知事。1912(明治45)年12月-1914(大正3)年4月東京府知事。
関連頁 (本願寺広島別院)廣島縣警察官殉難之碑  (南区楠那町の)聖上陛下御登極50年記念林碑
なかむらじゅんくろう
中村純九郎
1853-1947
県知事在任:1912(明治45)年3月28日-1913(大正2)年2月27日
官僚、政治家。佐賀県出身。1876(明治9)年司法省法学校修了。
1907(明治40)年12月-1912(明治45)年3月福井県知事。1912(明治45)年3月-1913(大正2)年2月広島県知事。1913(大正2)年2月-1914(大正3)年4月北海道庁長官。貴族院議員。
てらだすけゆき
寺田祐之
1851-1917
県知事就任:1913(大正2)年2月27日-1916(大正5)年4月28日
内務官僚。長野県出身。
1901(明治34)年4月-1906(明治39)年7月鳥取県知事。1906(明治39)年-1908(明治41)年岡山県知事。1908(明治41)7月-1913(大正2)年2月 宮城県知事。
関連頁 廣島縣産業奨励館(後の原爆ドーム)
まぶちえいたろう
馬淵鋭太郎
1867‐1943
県知事就任:1916(大正5)年4月28日-1918(大正7)年5月7日
1867(慶応3)年1月美濃(岐阜)生れ。1893(明治26)年に官界入り。各県の書記官、知事を歴任。
1906(明治39)年7月-1912(明治45)年6月山形県知事。山口県知事、三重県知事。1918(大正7)年5月-1921(大正10)年7月京都府知事。知事を退官して京都市長。
関連頁 (久保山神社境内社恵美須神社)馬淵鋭太郎書の標柱
13.03.19更新    09.09.22訂正
やすこうち あさきち
安河内麻吉

1873-1927
県知事就任:1918(大正7)年5月7日-1919(大正8)年4月18日
福岡県出身。東京帝国大学法科大学法律学科卒。内務官僚。
静岡県知事。1918(大正7)年5月-1919(大正8)年4月広島県知事。1919(大正8)年4月-1922(大正11)年10月福岡県知事。神奈川県知事。1927(昭和2)年4月内務次官、在職中7月15日死去。
わかばやしらいぞう
若林賚蔵
1866‐1941
県知事就任:1919(大正8)年4月18日-1921(大正10)年7月19日
慶応元年11月28日越後(新潟)生れ。警察畑を歩み、のち各県知事を歴任。島根県知事。奈良県知事。1913(大正2)年6月-1914(大正3)年6月山梨県知事。佐賀県知事。香川県知事。愛媛県知事。1921(大正10)年7月-1922(大正11)年10月京都府知事。退官後は大礼使事務官、奈良帝室博物館評議員などを務めた。1922(大正11)年貴族院議員。
09.09.22追記
よだ けいじろう
依田_次郎

1860-1933
県知事就任:1921(大正10)年7月19日-1923(大正12)年10月16日
万延元年7月生まれ。丹波篠山藩士の子。弁護士。明治法律学校卒。1894(明治27)年判事。
1913(大正2)年4月-1914(大正3)年4月長野県知事。1917(大正6)年12月-1921(大正10)年7月山形県知事。
関連頁 (多家神社再建)竣工・碑 09.05.29追記
あべかめひこ
阿部亀彦

1875‐1928
県知事就任:1923(大正12)年10月16日-1923(大正12)年10月25日
内務官僚。大分県出身。1904(明治37)年東京帝国大学法科大学卒業。
1919(大正8)年4月-1922(大正11)年10月高知県知事。
やまがたじろう
山県治郎
1881‐1936
県知事就任:1923(大正12)年10月25日-1925(大正14)年9月16日
山口県出身。東京帝大卒。内務官僚:神奈川、兵庫など県警察部長、内務監察官、初代都市計画局長。
1922(大正11)年10月-1923(大正12)年10月石川県知事。1923(大正12)年10月-1925(大正14)年9月広島県知事。1925(大正14)年9月-1927(昭和2)年5月兵庫県知事。神奈川県知事。
09.09.22追記
はまだつねのすけ
浜田恒之助
1870‐1945
県知事就任:1925(大正14)年9月16日-1926(大正15)年9月28日
1870(明治3)年9月高知県生れ。
1910(明治43)年6月-1915(大正4)年8月富山県知事。1915(大正4)年8月-1919(大正8)年4月宮城県知事。憲政会系知事として知られ、原敬政友会内閣のときには浪人生活を送った。憲政会が勢力を取り戻すと官界に復帰。広島県知事を経て、1926(大正15)年9月-1927(昭和2年)京都府知事。若槻礼次郎憲政会内閣が崩壊し、田中義一政友会内閣により浜田京都知事は休職となる。
すえまつかいいちろう
末松偕一郎

1875-1947
県知事就任:1926(大正15)年9月28日-1927(昭和2)年11月7日
内務官僚、政治家。福岡県出身。1902(明治35)年東京帝国大学法科大学法律学科卒業。
1920(大正9)年11月-1922(大正11)年11月台湾総督府内務局長。1923(大正12)年10月-1925(大正14)年9月滋賀県知事。
関連頁 (比治山公園建立の)殉職消防組員之碑
よこやますけなり
横山助成
1884‐1963
県知事就任:1927(昭和2)年11月7日-1928(昭和3)年5月25日
1884(明治17)年1月1日秋田県生れ。東京帝大卒。内務省警保局長。
1923(大正12)年-1924(大正13)年岡山県知事。石川県知事。広島県知事。1931(昭和6)年12月-1932年6月京都府知事。神奈川県知事。1935(昭和10)年1月-1937(昭和12)年2月東京府知事。1937(昭和12)年2月-6月警視総監。1939(昭和14)年貴族院議員。大政翼賛会事務総長。
09.09.22追記
きしもと まさお
岸本正雄
1881-1963
県知事就任:1928(昭和3)年5月25日-1929(昭和4)年7月5日
内務官僚。樺太庁長官。鳥取県出身。1906(明治39)年東京帝国大学法科大学法律学科卒業。
1924(大正13)年6月-12月山形県知事。1931(昭和6)年12月樺太庁長官就任。
かわぶち こうま
川淵洽馬
1883-1946
県知事就任:1929(昭和4)年7月5日-1931(昭和6)年5月8日
福島県知事(1925年9月16日〜昭和2年5月17日)、広島県知事、福岡県知事(1931年5月8日〜1931年12月18日)。衆議院議員(立憲民政党)
関連頁 (可部・上原神社)藤井佐一郎翁頌徳碑 11.04.05追記
しらね たけすけ
白根竹介
1883-1957
県知事就任:1931(昭和6)年5月8日-1931(昭和6)年12月18日
内務省官僚。山口県出身。1908(明治41)年東京帝国大学法科大学政治学科卒業。高等文官試験行政科合格。
岐阜県知事。石川県知事。1927(昭和2)年5月-1929(昭和4)年2月富山県知事。埼玉県知事。静岡県知事。広島県知事。1931(昭和6)年12月-1935(昭和10)年1月兵庫県知事。貴族院議員。
ちば りょう
千葉了
1884-1963 
県知事就任:1931(昭和6)年12月18日-1932(昭和7)年6月28日
内務官僚。宮城県出身。1908(明治41)年東京帝国大学法科大学政治学科卒業。
1927(昭和2)年4月-1929(昭和4)年7月長野県知事。
ゆざわ みちお
湯沢三千男
1888-1963
県知事就任:1932(昭和7)年6月28日-1935(昭和10)年1月15日
内務省官僚。栃木県出身。東京帝国大学卒業。
1929(昭和4)年10月-1931(昭和6)年12月宮城県知事。1935(昭和10)年1月-1936(昭和11)年3月兵庫県知事。1942(昭和17)年(東条内閣)内務大臣。戦後1959(昭和34)年参議院議員(自民党)栃木県選挙区。
関連頁 (平山神社建立の)瀬川卯一翁彰徳碑 10.03.04追記
すずきけいいち
鈴木敬一

1889-1973
県知事就任:1935(昭和10)年1月15日-1936(昭和11)年4月22日
内務省・警察畑。愛知県出身。1914(大正3)年東京帝国大学法科大学政治学科卒業。
1931(昭和6)年4月-1932(昭和7)年6月富山県知事。熊本県知事。1935(昭和10)年1月-1936(昭和11)4月広島県知事。1936(昭和11)4月-1939(昭和14)年4月京都府知事。
14.03.26訂正追記
はやかわさぶろう
早川三郎
1888-1973
県知事就任:1936(昭和11)年4月22日-1937(昭和12)年1月8日
内務官僚、政治家。神奈川県出身。1915(大正4)年東京帝国大学法科大学法律学科卒業
1936(昭和11)年4月-1937(昭和12)年1広島県知事。1937年1月-2月警視総監。愛知県知事。
とみたあいじろう
富田愛次郎

1885-1954
県知事就任:1937(昭和12)年1月8日-1938(昭和13)年11月9日
内務官僚、政治家。愛知県出身。1913(大正2)年京都帝国大学法科大学法律学科卒業。
1942(昭和17)年4月第21回衆議院議員総選挙愛知県第三区で当選。のち、日本進歩党に所属、衆議院議員を一期務めた。
いいぬまかずみ
飯沼一省
1892‐1982
県知事就任:1938(昭和13)年11月9日-1939(昭和14)年9月5日
福島県出身。東京帝大卒。1917(大正6)年内務省入り。
埼玉県知事。静岡県知事。広島県知事。1939年9月5日〜1940(昭和15)年4月9日神奈川県知事。1940(昭和15)年神祇院副総裁。
関連頁 廣島護國神社・名版碑 09.09.22追記
あいかわ かつろく
相川勝六

1891-1973
県知事就任:1939(昭和14)年9月5日-1941(昭和16)年3月26日
内務官僚・政治家。佐賀県生れ。東京帝国大卒。警視庁刑事部長、神奈川県警察部長。1934(昭和 9)年警保局保安課長時第2次大本教弾圧など指導。1936(昭和11)年二・二六事件の責任をとり朝鮮総督府警務局外事課長に転出。宮崎県、広島県、愛知県各知事。大政翼賛会実践局長、内務次官。1945(昭和20)年小磯内閣・厚相。1946-1951公職追放。1952(昭和27)-1972(昭和47)年衆議院議員。
関連頁 浅野長勲公頌徳碑   (江波山公園の)廣島工業港・魚介藻類慰霊碑
よしなが ときじ
吉永時次
1892-1976
県知事就任:1941(昭和16)年3月26日-1942(昭和17)年6月15日
内務官僚。岡山県出身。1919(大正8)年東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1928(昭和3)年吉永に入夫改姓。
1936(昭和11)年4月22日-1939(昭和13)年1月11日和歌山県知事。1939(昭和14)年1月11日-1941(昭和16)年3月26日茨城県知事。1942(昭和17)年6月-1943(昭和18)年4月警視総監。
関連頁 中道卯之助翁頌徳碑の碑文   10.10.19追記
みやむらさいいちろう
宮村才一郎
県知事就任:1942(昭和17)年6月15日-1943(昭和18)年7月1日
よこやますけなり
横山助成
1884‐1963
県知事就任:1943(昭和18)年7月1日-1944(昭和19)年8月1日
警視総監、貴族院議員。秋田県出身。1909(明治42)年 東京帝国大学法科政治科卒業。
1939(昭和14)年12月〜1946(昭和21)年3月貴族院議員(勅撰議員)。
まつむらみつま
松村光麿
1894‐1970
県知事就任:1944(昭和19)年8月1日-1945(昭和20)年4月21日
内務官僚。弁護士。佐賀県出身。1918(大正7)年東京帝国大学英法科卒業。
1936(昭和11)年3月-1937(昭和12)年9月栃木県知事。
おおつか いせい
大塚惟精
1884‐1945
県知事就任:1945(昭和20)年4月21日-1945(昭和20)年6月10日
熊本県出身。東京帝大卒。1917(大正6)年内務省入り。
1924(大正13)年6月-1926(大正15)年9月栃木県知事。福岡県知事。石川県知事。1931(昭和6)年貴族院議員。1942(昭和17)年陸軍司政長官。
1945(昭和20)年6月10日開設の「中国地方総監府」総監に任命される。
1945(昭和20)年8月6日8時15分上流川町(松田重次郎邸借上げ)官舎で登庁迎えの車を待っているとき原爆が炸裂、倒壊した家屋の下敷きになり、外から呼ぶ妻子らに「早く逃げよ」と云いつつ火災に包まれ焼死されたそうです。
07.08.27追記※広島原爆戦災誌第3巻を参考にしました
たかの げんしん
高野源進
1895-1969
県知事就任:1945(昭和20)年6月10日-1945(昭和20)年10月11
福島県出身。東京帝国大学法学部独法科卒業。
1941(昭和16)年1月-1942(昭和17)年7月山梨県知事。
1945(昭和20)年8月6日福山地方に出張中で原爆による難をのがれた午後6時半には比治山多聞院に『広島県防空本部(県庁)』を開庁した。1945(昭和20)年10月11日-1946(昭和21)年1月警視総監。弁護士。
※資料:広島原爆戦災誌
こだまくいち
児玉九一

1893-1960
県知事就任:1945(昭和20)年10月11-10月27日(中国地方総監と兼任)。
内務官僚。厚生次官。山口県出身。厚生次官。父は児玉源太郎(陸軍軍人1852-1906)。1919(大正8)年東京帝国大学法学部政治学科卒業。
1945(昭和20)年10月27日中国地方行政事務局長に転出。1939(昭和14)年4月-1940(昭和15)年4月福岡県知事。
くすのせつねい
楠瀬常猪
1899-1988
県知事就任:1945(昭和20)年10月27日-1947(昭和22)年3月14日
1945(昭和20)年10月27日近畿地方総監府副総監から県知事に就任、1947(昭和22)年3月14日新地方制度による知事選挙に立候補するため辞任。
たけわかときいちろう
武若時一郎
県知事就任:1947(昭和22)年3月14日-1947(昭和22)年4月16日
1947(昭和22)年3月14日近畿地方行政事務局次長から県知事に任命。(単なる選挙管理知事)、1ヵ月後退任、経済調査庁長官に転じる。
公選・広島県知事
くすのせ つねい
楠瀬常猪
1899-1988

広島県知事在任:1947(昭和22)年4月16日-1950(昭和25)年11月29日(当選1回)
 ※1947(昭和22)年4月5日(初の)民主選挙で当選。
1950(昭和25)年参議院議員補欠選挙で当選(※1953年第3回参議院選挙では落選)

関連頁 稲荷大橋(橋名揮毫)
おおはら ひろお
大原博夫
1894-1971
広島県知事在任:1951(昭和26)年1月24日-1962(昭和37)年4月13日(当選3回)
政治家、広島県医師会長。豊田郡大河村(現・東広島市河内町)出身。医師弥八の長男。県立広島中学を経て東京慈恵会医院医学専門校卒業。自宅で開業。1923(大正12年9月〜1947(昭和22)年2月県会議員5期。1946(昭和21)年4月衆議院選挙協同民主党から立候補し当選(2期つとめる)。広島県知事1951(昭和26)年1月24日-1962(昭和37)年4月13日(当選3回)。知事在任中「生産県構想」を推進。「大判小判事件」で出納責任をとって知事辞職。
関連頁 広島県職員原爆犠牲者慰霊碑  (大野村初代村長)中丸次兵衛翁頌徳碑 10.01.29追記
ながの いづお
永野嚴雄
1918-1981

広島県知事在任:1962(昭和37)年5月29日-1973(昭和48)年11月10日(当選3回)
1980年参議院議員(地方区)当選、1981年10月8日死亡(※1981年11月29日の補欠選挙で宮沢弘当選)。
関連頁 戦災復興記念・碑
みやざわ ひろし
宮澤 弘

1921-2012
広島県知事在任:1973(昭和48)年12月16日-1981(昭和56年10月29日(当選2回)
昭和期官僚、政治家。東京生れ(※兄は宮沢喜一元総理大臣)。東京帝国大学卒。内務省入省、海軍主計大尉。
1973(昭和48)年自治事務次官。同(1973)年広島県知事に当選。
1981(昭和56)年-1998(平成10)年参議院議員、1995(平成7)年村山内閣で法務大臣。1998(平成10)年政界引退。2012年5月26日老衰のため死去。
関連頁 向洋牡蛎供養碑   (向洋)魚貝藻碑   (大芝小)日新・碑 
広島刑務所(原爆被爆犠牲者)鎮魂・碑
12.06.01追記
たけした とらのすけ
竹下虎之助
1925-2008
広島県知事在任:1981(昭和56)年11月29日-(1993)平成5年11月28日(当選3回)
島根県大田市出身。京都帝大卒。
1960(昭和35)年広島県職員。1972(昭和47)年広島県副知事に就任。1996(平成8)年修道学園理事長。

関連頁 土師ダム水没者顕彰の碑 10.04.08追記
ふじた ゆうざん
藤田雄山
1949-2015
広島県知事在任:1993(平成5)年11月29日-2009(平成21)年11月28日 (当選4回:2005年11月6日県知事選挙で)
政治家。広島県出身。慶応義塾大商学部卒。
1989(平成元)年参議院議員(広島選挙区)当選。

関連頁 (知事交際費不当支出とされた先)羽田別荘   (入野地区)土地改良記念豊穣の礎・碑
10.06.26追記
4期16年間の藤田県政は、1期目は、自民党議員団との二人三脚で、広島アジア大会(1994年10月2日〜16日)などの大事業を成功させたが、両者の蜜月関係は、2期目にはほころびはじめ、財政難で行財政改革を進めたい藤田知事と、公共事業推進派とみられる同議員団の一部県議との距離は徐々に広がっていったとききます。同議員団が名称を変えた自民党議員会は下野する一方で、そこから分裂した自民党刷新会(現自民刷新会議)は現在の民主県政会につながる民主、社民党系などの会派とともに知事与党として、議会運営の主導権を握り、県政を推進しました。
しかし藤田知事の最大の汚点は、後援会の政治資金規正法違反事件でした。
政治資金パーティーの収入を過少申告したとして後援会元事務局長が2005(平成17)年政治資金規正法違反容疑で逮捕され、後に有罪が確定。多数の県議が後援会から選挙対策費を受け取ったとして、問題は県議会にも飛び火し、県民の政治不信はピークに達し、県民の知事への信頼は絶たれました。実際、2006(平成18)年12月と2007(平成19)年2月の二度にわたり、県議会で辞職勧告決議案が可決されましたが、勧告に法的拘束力はなく、「知事職を投げ出してしまっていいのか」などとして辞職しませんでした。同(2007)年7月今度は法的拘束力のある不信任案が県議会に提出されましたが、26対39で否決されました。このことで県議会への信頼も失われたと(わたしは)思っています。
2009(平成21)年11月2日中國新聞が行った世論調査・藤田県政の評価では『県政運営を「評価する」としたのは47.1%で、「評価しない」は46.9%と評価は二分した。』との記事がありました。
2015.12.18.県立広島病院で死去。15.12.18.追記
ゆざき ひでひこ
湯崎 英彦
( 1965-   )
広島県知事在任:2009(平成21)年11月29日-
実業家、官僚(通商産業省)。広島市佐伯区出身。広島大学附属高等学校卒、東京大学法学部卒業。
県知事選挙でのキャッチフレーズは「広島県にもう一度『挑戦心』を呼び戻す!」「広島県の持つ『底力』をもう一度発揮する!」
関連頁 県知事選挙



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