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現在の西区己斐本町にあり1945(昭和20)年8月6日被爆した「日本麻紡績(株)給水塔」です。
※現在は、(株)浜田樹苗園「己斐ガーデンスクエア」の敷地内に残されています。 |
被爆建物A-bombed Building 被爆時の名称:日本麻紡績(株)給水塔 広島市
爆心地から≒2,830m 被爆当時町名は己斐町でした
この給水塔は1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています |
赤煉瓦造3層で1919(大正8)年に竣工しています。
一辺が4m、高さ約10mの四角形の給水(タンク)塔は、工場(軍服製造の麻紡績株式会社)の北西角に位置していました。
給水タンク塔は原爆風にも耐え残っていましたが、タンクは後に降ろされ今はありません、根際の煙突も現在は取り壊されています。
唯一生き残った給水塔は、春は蔦の若葉に包まれ緑の塔となります。 |
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日本麻紡績は、山陽本線沿線に広大な敷地があり、多くの平屋建ての工場や倉庫が建ち並び、その中に四面にアーチが三層に連なった3階建のこの給水塔があり、近代的な工場のイメージを高めていたそうです。 |
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資料でこの建物が残っている事を知り2006年10月撮影に行ったのです。
蔦が絡まるということを知ってはいましたが、ここまでとは・・・レンガ造の外壁は蔦の間からわずかにみえるだけででした。11月も終わりに近づきそろそろ蔦も枯れたかなと再び訪ねました。 |
2017年近くに来ましたので、久しぶりに立ち寄り撮影しました。 |
18.02.20.更新 06.10.17.裕・記編集 |