(本照寺・被爆した墓石が組込まれた)合塔

  中区小町の本照寺の墓苑に建立されている「(被爆した墓石が組込まれた)合塔」です。
資料によると、被爆した墓石が組み込まれた合塔(佛心塔)の記載がありました。
爆心地から≒840m   被爆当時町名は新川場町でした
パル博士「大亜細亜悲願之碑」を撮影に行ったとき、お寺を撮影した中にこの合塔が写っていましたが、その由来は分からなかったのです。
2006年5月の交流ウォークのときに被爆して無縁になった方々の墓石で建てられた事を知り撮影しました。
資料をみると合塔と記述していましたので頁としては佛心塔ではなく合塔を採用しています。今(2007)年交流ウォークで訪ねたとき近づいてよくよく見ると建立の経緯がわかりました、もともとこの佛心塔は、慶長10(1605)年に建立されたのであったが、昭和20(1945)年8月6日原爆により崩壊、昭和27(1952)年7月再建されたと。
07.12.03 更新   06.11.28.裕・編集

05.09.17.撮影
広島市中区小町7-24 (本照寺)

06.05.11.撮影

06.05.11.撮影
佛心塔 昭和27(1952)年7月建立

07.05.20.撮影

07.05.20.撮影

07.05.20.撮影

07.05.20.撮影
(原爆で破壊され)昭和27年7月再建 もともとは慶長10年建立 大正13(1924)年4月19日



被爆した建物・構築物」編



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