(被爆した建物)己斐調整場送水ポンプ室

  西区己斐東に残されている「(被爆した)己斐調整場送水ポンプ室」です。
          被爆建物 A-bombed Building      広島市
           被爆時の名称:己斐調整場送水ポンプ室
 
             爆心地から2,310m
 
この建物は、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています
1932(昭和7)年3月、己斐調整場送水ポンプ室として、鉄筋コンクリート造、2階建ての建物として竣工しています。
広島市西部の己斐草津方面は、牛田水源地から遠く丘陵地に住宅が多く給水確保の為に1935(昭和10)年この地に調整池が造られました。
このポンプ室は、前面の2階建部分が事務所で後部・平屋部分には2台の送水ポンプが据え付けられていました。
1945(昭和20)年8月6日原爆で被害を受け、1949(昭和24)年に修復されたそうです。
現在は機能停止で利用されていません。
斜面をカットし石積の擁壁で平地を造りそこにこのポンプ室が作られています。
2006年訪ねた時に、斜面に吹き付けたモルタルや擁壁の裏に水が回り補修が必要な時期に来ているようで法面の調査をされている方と建物を撮影しようとしたときに立ち話をしました。
2012年撮影していました。撮影画像を整理している2015年のいまになりましたが、掲載画像を見直し、2012年撮影画像を加えこの頁を再編集しました。
15.03.12再編集   06.12.16.裕・記編集

06.11.29.撮影
広島市西区己斐東1-7-7 

06.11.29.撮影

06.11.29.撮影
門柱の名板には「廣島市水道局己斐調整場」

06.11.29.撮影
窓部分 出入口部分

06.11.29.撮影

12.04.21.撮影

12.04.21.撮影
2006年当時入口を覆ってきていた立ち木が伐採されたようでした



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