(被爆した建物)広島地方気象台

  中区江波南に被爆建物として残されている「広島地方気象台」の建物です。
※現在は“広島市江波山気象館”(大人は有料ですが)として見学することができます。
被爆建物 A-bombed Building 広島市
被爆時の名称:広島地方気象台 爆心地から3,630m   (被爆当時町名は江波町)この建物は、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。
太平洋戦争末期には、機材、書類などの一部を可部町に疎開させ、庁舎内には江波山高射砲隊が駐留していたそうです。1945(昭和20)年8月6日原爆の爆風により爆心地側の窓枠が曲がり、窓ガラスも飛び散り、2重構造の部屋に設置されていた地震計が大破、風速計は振り切れ、当日出勤していた職員25名全員が飛散物による怪我や屋外での火傷など重軽傷を受けたそうです。被爆当時は広島地方気象台でした。
 広島市指定重要有形文化財  指定:平成12(2000)年7月25日
概要:鉄筋コンクリート造、2階建(一部平屋)陸屋根
旧広島地方気象台は、昭和9(1934)年竣工です。
本建物は広島測候所(後に広島地方気象台)の建物として、昭和62(1987)年に中区上八丁堀の広島地方合同庁舎に移転するまで使用されていました。
外観では玄関ポーチ上の水平スラブやポーチの竹の子状の円柱、内装では玄関ホールの内のタイル張りや肘木状の梁など近代的表現派の流れを汲む意匠が見られ、建築当初の原形をよく残しています。昭和初期広島ではこのような意匠が流行しており広島市域における初期鉄筋コンクリート造建物を代表するものです。
広島地方気象台の歴史
1879 明治12年1月1日 広島県安芸国広島区水主(かこ)町の県庁内に広島県立広島測候所が設置
1892 明治25年12月3日 広島市国泰寺村(後の広島貯金支局の場所)に新築移転
1893 明治26年7月 天気予報の発表をはじめる
1934 昭和9年12月 江波町に新庁舎建設、1935年1月1日移転
1939 昭和14年11月1日 広島県所管から国営(文部省)所管になる、中央気象台広島測候所となる
1943 昭和18年1月1日 運輸通信省に移管、広島地方気象台と改称
1945 昭和20年 運輸省に移管
1945 昭和20年8月11日 広島管区気象台(中国5県を管理する)と改称
1949 昭和24年 広島地方気象台(中国4県を管理する)と改称、大阪管区気象台の管轄となる
1988 昭和63年1月1日 広島市中区上八丁堀広島合同庁舎4号館に移転
1990 平成2年11月1日 江波の旧広島地方気象台の建物を(保存活用のため)広島市に移管
1992 平成4年6月 江波山気象館として(改修され)オープンしました
資料は広島市江波山気象館展示資料他を参考にしました
現在広島市江波山気象館になっているここには過去何度か見学に訪れた事はありましたが、撮影する事もありませんでした。
被爆した構築物の頁に加えなくてはならないので見学し撮影しました。この頁は、被爆した建物という視点で編集しました。
07.12.06追記   07.08.15.裕・記編集

07.04.08.撮影
広島市中区江波南1-40-1

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影
この壁面は、昭和20(1945)年8月6日に原爆の爆風を受けました。平成3(1991)年度の当館復元工事においては、この部分は改修を行わずに、現状のまま保存しました。
爆心地から約3.7km、≒3630m

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影
今も残る原爆の傷跡 曲がった窓枠
この壁には、原爆の爆風で飛び散った窓ガラスの破片が突きささったまま残っています。ここ江波山での爆風の速さは秒速700mだったと推定されています。 この窓枠は、昭和20(1945)年8月6日に原爆の爆風を受けて大きく曲がりましたが、当時の気象台職員により、ガラスが嵌るように修復されたものです。

07.04.08.撮影
爆心地方向を屋上よりみてみました



被爆した建物・構築物」編


「高所からみる広島市街地」編



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(現在)広島市江波山気象館
(被爆した建物)広島地方気象台
   (今も残る原爆による)傷跡
   (屋上の)三等三角点


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