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広島市中区基町の旧広島市民球場跡地前の“勝鯉の森”北側に整備された「勝鯉の森を眺めるベンチ」を取り上げました。
※旧広島市民球場で使用されていた座席36人分を再利用しています。 |
2022年6月5日中國新聞・新山創記者の記事を参照すると
『2022年5月30日残されていた旧広島市民球場ライトスタンドの解体工事が始まった。
広島市は6月2日、旧広島市民球場跡地に長く残っていたライトスタンドの解体作業を公開した。スタンドの座面の一部は、跡地南側にある「勝鯉の森」近くに設ける憩いの場のベンチとして活用する。
残っていたスタンドは高さ6m、幅35m、奥行き22m。
5月30日から作業を始め、この日は作業員5人がプラスチック製の座面のボルトを外して撤去し、重機で土台のコンクリートを壊した。2週間ほどで解体を終えるという。
解体後は状態の良い38m分の座面を使い、カープの優勝記念碑などがある勝鯉の森北側にベンチを造る。3段の階段状で36人が座れる設計にする。座面は塗り直さず、表面を研磨して色合いを残す。イベント広場が跡地に開業する2023年3月末までに整備する。
旧広島市民球場は1957年に完成し、2008年まで半世紀にわたって広島東洋カープの本拠地だった。
市民団体などの要望を受け、市は2009年に被爆地復興の象徴としてライトスタンドの一部を残すと決めた。
球場の大半は2012年に解体を終え、広島市は2020年にベンチとして活用する方針を固めていた。
市都市機能調整部は「座面を生かしたベンチに座ってもらい、この場所に球場があったことや球場での思い出を語り継いでほしい」としている。』 |
1949 |
昭和24年12月15日 |
広島カープ(本拠地:広島総合球場として)セントラルリーグに加盟。 |
1957 |
昭和32年7月 |
ここ(中区)基町に広島市民球場完成。 |
1975 |
昭和50年10月15日 |
セントラルリーグ初優勝(日本シリーズでは阪急に0勝4敗2分と敗北)。 |
2009 |
平成21年4月1日 |
南区南蟹屋に(株)広島東洋カープは移転しました。 |
2012 |
平成24年2月28日 |
(ライトスタンドの一部を残して)球場は解体され更地になりました。 |
2022 |
令和4年6月 |
残していたライトスタンド解体⇒勝鯉の森北側にベンチを造る。 |
2023 |
令和5年3月31日 |
ひろしまゲートパーク開業で、スタンド整備(三段36人が座れる) |
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残されていた旧広島市民球場のライトスタンドの有効な利用がされることもなく残されていました。
旧広島市民球場跡に整備されるようになった“ひろしまゲートパーク”にはただ邪魔でしかないことから解体撤去されることになったのだろうと思っていました。
ひろしまゲートパークが開業し、4月になって兄と訪れた時に勝利の森の各記念碑をゆっくり眺めるのに絶好のベンチが整備されていることに気が付いたのです。
兄は知っていたようで、残されていたライトスタンドの座席を再利ヨプして整備されたことを教わったので、この頁を編集しました。 |
2023年11月西隣の商工会議所ビルから見下ろしましたので、このベンチの周りの状況が少しばかりわかると思いますので追記しました。 |
24.11.27.更新 24.02.25.裕記編集 |
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23.04.17.撮影 |
広島市中区基町5 旧広島市民球場跡地前勝鯉の森・北側 三段36人分の座席 |
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23.04.17.撮影 |
兄にそこに残されていたライトスタンドの座席を再利用したことわかると教わったのです |
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23.04.17.撮影 |
12.02.09.撮影 |
残されていた旧市民球場ライトスタンドの位置
高さ:6m×幅:35m×奥行:22m |
2012年2月旧市民球場が更地になり
残されていたライトスタンドを撮影していました |
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23.04.17.撮影 |
三段 36人分の座席が整備されました |
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24.01.25.撮影 |
勝理の森(各記念碑 と ひろしまゲートパーク(お好み焼きてっ平) |
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24.01.25.撮影 |
日本一記念碑裏側から整備されたベンチをみました |
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24.01.25.撮影 |
セリーグ優勝記念碑裏側から整備されたベンチをみました |
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24.01.25.撮影 |
勝理の森から整備された三段のベンチをみました |
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24.01.25.撮影 |
整備された三段ベンチの後側から勝理の森をみました |
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西隣の商工会議所(ビル)からみました |

23.11.10.撮影 |
広島市基町5-44商工会議9階から広島ゲートパークをみました |
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23.11.10.撮影 |
(整備された)三段ベンチをみました |
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