(中島小学校・理科園)与楽園

  中区加古町の中島小学校に造られている「(理科園)与楽園」です。
                  (中島小学校の現在の)与楽園のいわれ
広島三名園(縮景園、萬象園、与楽園)の一つで、明和2(1765)年安芸国九代藩主浅野重晟(1743-1814)が造った庭と池です。
被爆前まで、(広島)県立広島病院の庭として、その面影の一部を残していました。
昭和20(1945)年8月6日原爆により大きな被害を受けましたが、戦後もしばらく存続していました。しかし、だんだんと埋立られてその姿を消しました。跡地にはアステールプラザなどが建てられました。
昭和42(1967)年与楽園ゆかりの地の上に、中島小学校の職員やPTAの手で与楽園と名付けられた庭が理科園と兼ねて造られました。
2005年交流ウォーク時に、中島小学校根際を通った時(この学校の先生もされた)藤井先生に与楽園と名付けた理科園のことを聞いていたのです。
今(2008)年8月交流ウォーク時は藤井先生が学校から注意を受けたら話すからと云われこの与楽園と名付けられた理科園を見ることができ、説明板でその歴史の一端を知ることができました。
08.10.09裕・記編集

07.09.04.撮影
広島市中区加古町10-8

07.09.04.撮影

07.10.20.撮影



「公園・緑地など」編



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(藩政時代の三名園関連)
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