広島ゆかりの人たち -歴代広島市長-

  金が金をうむことを学び生かしてこそが勝ち組になるという現代の風潮からは、すっかり忘れられている二宮尊徳先生のことを調べてみることも必要なのではと思い、宇品小学校でみて撮影した二宮尊徳幼時の像を「宇品小学校の頁」に掲載しました。
この像の碑文を読んでいて、はじめて廣島市長・横山金太郎を知ったのです。わたしは、碑文を読んだとき猫山金太郎と思ったのですが、兄に間違っていることを指摘され、猫山ではなく横山金太郎氏が市長だったことを、そして(兄の著作に)経歴を掲載しているからと教えてもらったのです。経歴はわかったのですが、そこから何代目の広島市長だったのか?と思ったのです。
ここから歴代広島市長を調べて頁を作成していくことに繋がるのです。
図書館で「新修廣島市史」をみると記述がありましたので借りてきてこの頁の作成の参考にしました。
藝術分野 民間・文化分野   政治・軍分野  建築分野 スポーツ分野  (明治以前)歴史分野
歴代広島城主 歴代広島県知事 歴代広島市長  外国人編
※資料を調べても分からない処もあるし、また間違って編集した処もあるでしょうから誤記・誤字はご容赦願っておきます。
15.07.25.更新   06.02.04裕・編集



























































































































































































































































敬称は略しています
中尾正名
1841-1915
初代広島区長、1878(明治11)年11月-1882(明治15)年1月
安芸国(広島田中町)出身。
1876(明治9)年広島県福山支庁長。1978(明治11)年11月1日広島区長。のち賀茂郡長、御調郡長。
栗原  幹 二代広島区長、1882(明治15)年1月-1889(明治22)年9月
広島藩士。廃藩置県後広島県庁に奉職。1882(明治15)年1月広島区長。1915(大正4)年9月死去(72歳)。
みき あきら
三木  達
初代広島市長、1889(明治22)年9月(8月裁可)-1889(明治22)年11月
安芸国(広島山口町)出身。
1868(明治元)年広島藩側医師並。1889(明治22)年6月広島市議会員。1889年7月20日市長候補に推され、8月29日裁可、9月4日初代広島市長就職、11月28日辞職。1891(明治24)年10月病死(61歳)。
ばん すけゆき
伴  資健
1835-1913
二代広島市長、1889(明治22)年11月-1895(明治28)年11月、
四代広島市長、1896(明治29)年4月-1902(明治35)年4月、
五代広島市長、1902(明治35)年4月-1906(明治39)年8月

安芸国(広島中ノ町)出身。
1863(文久3)年広島藩若殿付奥小姓。1865(慶応元)年目付役。1868(明治元)年勘定奉行。1877(明治10)年広島県第八大区長。1878年賀茂郡長。広島市長。

関連頁 (明星院境内建立の)伴資健翁之碑
さとう ただし
佐藤  正
1849-1920
三代広島市長、1896(明治29)年1月-1896(明治29)年4月
明治時代陸軍軍人、陸軍少将。安芸国(広島白島町)出身。歩兵第18連隊長。第3代広島市長。宮中顧問官。
1877(明治10)年西南戦争従軍、後歩兵将校として累進。1884(明治17)年仙台鎮台参謀。1888(明治21)年5月から休職、同(明治21)年9月歩兵第24連隊長で復職。1892(明治25)年11月1陸軍大佐進級、日清戦争に従軍。1895(明治28)年3月平壌攻略戦中重傷、この負傷で左足切断、休職、同(明治28)年(10月退役、同時に陸軍少将に進級。1896(明治29)年1月〜4月広島市長。1898(明治31)年11月宮中顧問官就任。その後、東亜同文会幹事長・愛国婦人会事務総長歴任。1915(大正4)年修道中学校総理就。
関連頁 (多家神社に建立)府中村・出征軍人紀念碑  (修道学園)山田十竹先生之碑:撰文
09.11.21追記
たかつか こういち
高束康一

1860-1920
六代広島市長、1906(明治39)年8月-1909(明治42)年4月
安芸国出身。東京専修学校(専修大学の前身)卒。
岡山など税務署長。広島市長。1913(大正2)年広島電燈(株)社長。
関連頁 (千田廟公園の)御幸松・石碑
おだ かんいち
小田貫一

1856-1909
七代広島市長、1909(明治42)年5月-1909(明治42)年7月
当時佐伯郡宮内村出身。
宮内村村長。1882(明治15)年県会議員。1892(明治25)衆議院議員当選、爾来5回当選(自由党)。1909(明治42)年7月22日市長在職中病死、7月26日市葬。
わたなべ またさぶろう
渡辺又三郎
八代広島市長、1909(明治42)年9月-1910(明治43)年7月
代言人(後の弁護士)。1888(明治21)年県会議員。1889(明治22)年6月市会議員(明治22年9月市会議長)。1890(明治23)年衆議院議員(当選3回)。1910(明治43)年7月3日広島市長在職中病死(56歳)。
ながや けんじ
長屋謙二

1858-1913
九代広島市長、1910(明治43)年9月-1913(大正2)年2月
安芸国(広島竹屋町)出身。代言人(後の弁護士)。
1892(明治25)年中国新聞創刊(日刊「中國」で創刊)に参画。1913(明治43)年2月16日広島市長在職中病死。
てしま ようぞう
豊島陽蔵
1852-1922
十代広島市長、1914(大正3)年1月-1914(大正3)年4月
広島県(当時・安芸郡矢賀村)出身。陸軍士官学校卒。
1902(明治35)年5月陸軍少将。1908(明治41)年陸軍中将。広島市長。1922(大正11)年2月病死。

関連頁 豊島陽蔵寄進の男崎神社鳥居
12.0725追記
  武岡充忠 職務管掌、1914(大正3)年3月-1915(大正4)年1月
よしむら へいぞう
吉村平造
十一代広島市長、1915(大正4)年1月-1916(大正5)年12月
大阪朝日新聞記者。大阪市助役。広島市長。
たなべ まさたけ
田部正壮

1849-1939
十二代広島市長、1917(大正6)年10月-1921(大正10)年10月
安芸国出身。大阪陸軍兵学寮(陸軍士官学校の前身)。1907(明治40)年陸軍中将。広島市長。

関連頁 (広瀬神社建立の)御銀婚式記念・碑 、 (大国神社の)標柱
09.11.17追記
さとう のぶやす
佐藤信安
十三代広島市長、1922(大正11)年4月-1925(大正14)年1月
1874(明治7)年島根県松江雑賀町生まれ。東京帝大卒。
弁護士。検事。福島県、三重県、広島県内務部長。広島市長。
かわぶち りょうき
川淵龍起
1860-1941
十四代広島市長、1925(大正14)年8月24日-1929(昭和4)年8月23日
高知県吾川郡八田村出生れ。東京法律学校卒。
1883(明治16)年8月検事。1905(明治38)年広島控訴院検事長など。広島市長。
関連頁 (広島市役所旧庁舎資料展示室)広島市役所旧庁舎・定礎箱
*竜起としていましたが、定礎銘板をみると龍起と刻まれていましたので、ここでは龍を採用しました。 11.02.23追記
いとう さだじ
伊藤貞次

1878-1943
十五代広島市長、1930(昭和5)年5月16日-1934(昭和9)年5月15日
1878(明治11)年新潟県岩船郡関谷村生まれ。早稲田大学専門部法律科卒。
1914(大正3)年富山県勧業課長。1921(大正10)年函館区助役。1929(大正15)年12月広島市助役。広島市長。
関連頁 (観船橋)架橋修道記念・碑   (江波南の)改修記念・碑
  井田完二 職務管掌、1934(昭和9)年3月-1935(昭和10)年1月
よこやま きんたろう
横山金太郎

1868-1945
十六代広島市長、1935(昭和10)年2月-1939(昭和14)年2月
広島県(現・庄原市)東城町出身。東京法学院(現・中央大学)卒。
1891(明治24)年代言人試験合格。1895(明治28年)西条区裁判所判事。1897(明治30)年台湾台北地方法院判官。1899(明治32)年広島市で弁護士開業。1903(明治36)年県会議員、1907(明治40)年広島市会議員(明治45年1月第13代議長)。1908(明治41)年5月広島県第三区選出立憲民政党衆議院議員(当選9回)。1909(明治42)年広島弁護士会長。1931(昭和6)年(浜口内閣)文部政務次官。1935(昭和10)年広島市長

関連頁 (宇品小学校の)二宮尊徳先生幼時之像 資料は増田修著:広島法律学校沿革誌他を参考にしました
ふじた わかみ
藤田若水

1876-1951
十七代広島市長、1939(昭和14)年12月-1943(昭和18)年5月
愛媛県出身。東京専門学校(早稲田大の前身)卒。
1908(明治41)年県会議員。1910(明治43)年広島市議会議員。1913(大正2)年広島弁護士会長。1927(昭和2)年衆議院議員当選、爾来5回当選。広島市長。1946(昭和21)年2月〜1948年3月広島市復興審議会委員長。
関連頁 (比治山公園)皇太子殿下御展望之御趾・碑
あわや せんきち
粟屋 仙吉
1893-1945
十八代広島市長、1943(昭和18)年7月-1945(昭和20)年8月(6日
官僚。山口県出身(本籍・東京都)。東京帝大法学部卒。キリスト教徒。
1919(大正8)年内務省入省。1929(昭和4)年高知県警察部長。1933(昭和8)年大阪府警察部長。1937(昭和12)年大分県知事。1943(昭和18)年7月官選18代広島市長。1945(昭和20)8月6日市長官舎で被爆死亡。
関連頁 (万代橋西詰緑地帯)被爆市長公舎跡
きはら しちろう
木原七郎

1884-1951
十九代広島市長、1945(昭和20)年10月-1947(昭和22)年3月
政治家。広島県(当時・安芸郡矢野町)出身。早稲田大学法学部卒。
芸備日日新聞社社長。1911(明治44)年県会議員。1930(昭和5)年衆議院議員(民政党)当選3回。
1945(昭和20)年9月29日市会にて安芸郡船越町在住衆議院議員だった木原を市長に選出、10月22日第19代市長に就任。1947(昭和22)年3月22日公職追放(大政翼賛会推薦の代議士であったため)で市長辞任。追放後1951(昭和26)年9月市顧問となった、1951(昭和26)年12月十二指腸潰瘍のため死去。
  
はまい しんぞう
浜井信三
1905-1968


20代◇1947(昭和22)年4月5日新地方制度に基づき市長選執行候補者全員法定投票に達せず決選投票に、
4月9日山本久雄候補辞退で濱井(浜井)の市長就任決定。
21代◇1951(昭和26)年4月23日市長・市議会議員一般選挙執行、市長選挙では(翌日開票で)浜井市長に再選。
23代◇1959(昭和34)年4月30日市長・市議会議員一般選挙執行、市長選挙では濱井(浜井)市長に当選。
24代◇1963(昭和38)年4月30日市長・市議会議員一般選挙執行、市長選挙では濱井(浜井)市長に当選。
政治家。広島県(当時・佐伯郡能美島)出身。東京帝大法学部卒。被爆者。
1945(昭和20)年広島市配給課長の時被爆、同(昭和20)年12月第2助役就任。1947(昭和22)年公選による初代広島市長
となり、毎年8月6日に平和式典と慰霊祭をおこない核兵器禁止を訴える。1950(昭和25)年平和記念公園を建設、1966(昭和41)年原爆ドームの永久保存運動をおこした。広島市長在任通算四期市長。1968(昭和43)年2月26日死去(3月8日市民葬)。著作に「原爆市長」。
関連頁 (広島平和記念資料館・東館建立の)濱井信三像  広島市公務員原爆慰霊碑 
わたなべ ただお
渡辺 忠雄
22代◇1955(昭和30)年4月30日市長・市議会議員一般選挙執行、渡辺候補(浜井市長三選阻止)当選。
政治家。山県郡大朝町出身。1928(昭和3)年以来弁護士。被爆者。
1946(昭和21)年第22回総選挙全県一区に自由党から立候補・当選、公職追放。1952(昭和27)年第25回総選挙第1区に自由党から立候補・落選。1953(昭和28)年第26回総選挙第1区に自由党(吉田派)から立候補・落選。広島市長在任1955-1959。1960(昭和35)年第29回総選挙第1区に無所属で立候補・落選。

関連頁 平和之観音像
08.06.04追記
やまだ せつお
山田 節男
1898-1975
25代◇1967(昭和42)年4月28日市長・市議会議員一般選挙執行、市長選挙では山田当選。
26代◇1971(昭和46)年4月25日市長・市議会議員一般選挙執行、市長選挙では山田当選。
政治家。広島県出身。東京帝大卒。オックスフォード大留学。ILO調査官。総同盟副会長。
1947(昭和22)年参議院議員(当選3回、民社党)。1967(昭和42)年広島市長になる(広島市長在任1967-1975)
核兵器廃絶と核実験の即時全面禁止を訴え続けた。戦災復興の仕上げとして基町地区の再開発に力を注いだ。1975(昭和50)年1月8日死去(1月22日市葬)。76歳。

関連頁 尾長町慰霊碑   (平和記念公園)平和の塔   (舟入病院)古川久吉顕彰碑
あらき たけし
荒木  武
1916-1994
27代◇1975(昭和50)年2月23日市長選挙執行で荒木当選。
28代◇1979(昭和54)年2月18日市長選挙執行で荒木当選。
29代◇1983(昭和58)年2月20日市長選挙執行で荒木当選。
30代◇1987(昭和62)年2月四選。
(当時)安佐郡三篠町出身。東京帝大卒。広島市長在任1975-1991。被爆者。
1947(昭和22)年広島市議会議員。1951(昭和26)年広島県議会議員(三期)を経て市長挑戦3回目で市長1975(昭和50)年。1994(平成6)年4月勲二等瑞宝章受賞。1995(平成7)年7月8日市民葬。

関連頁 (元安橋東詰横の)平和祈念碑    (市民球場前)勝鯉の森・碑
ひらおか たかし
平岡  敬
(1927-    )
31代◇1991(平成3)年2月3日市長選挙執行で平岡当選。
32代◇1995(平成7)年2月再選。
早稲田大第一文学部独文学科卒。 
1984(昭和59)年在韓被爆者渡日治療広島委員会幹事。1986(昭和61)年中国放送取締役社長(1990年退社)
広島市長在任(1991-1999)。
1999(平成11)年韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への移設実現。原爆ドームの世界遺産登録に力を注いだ。
あきば ただとし
秋葉 忠利
(1942-    )
33代◇1999(平成11)年2月当選、広島市長に就任。
34代◇2003(平成15)年2月再選
35代◇2007(平成19)年4月三選
広島市長在任1999-2011
東京都荒川区出身。東京大学理学部卒。マサチューセッツ工科大学(理学博士)。タフツ大学准教授。ビジネスコンサルタント等の後、広島修道大学教授。テレビのニュースキャスター。
海外ジャーナリスト広島長崎招請計画「アキバ・プロジェクト」主催。衆議院議員3期社会党、社民党(1990-1999)。

関連頁 平和式典・平和宣言関連頁(2010年〜2002年)   「NO WAR NO DU !」
『NO WAR NO DU!』集会参加の秋葉市長を裕が撮影しました 07.04.09追記
まつい かずみ
松井 一實
(1953-   )
36代◇2011(平成23)年4月当選
37代◇2015(平成25)年4月再選
広島市長在任2011-
広島市東区牛田出身。京都大学法学部卒。(被爆二世)。☆座右の銘:温故知新。趣味:コーラス(バス担当)、油絵。
1976(昭和51)年労働省入省。1993(平成5)年婦人局婦人労働課長。2006(平成18)年大臣官房総括審議官・国際担当、ILO理事・政府代表。2008(平成20)年中央労働委員会事務局長。

関連頁 2011年市長選挙  旧・広島市民球場跡地利用について 15.07.12追記
※参考にした資料は、主に新修廣島市史です。



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