ピカソ作「Knight page and monk(政治と芸術)」のタペストリー

  南区松原町の“EKICITY HIROSHIMA”に展示されているパブロ・ピカソ作「Knight page and monk(政治と芸術)」のタペストリー作品です。
この作品は、ロックフェラーの注文によって制作されたピカソのタペストリーのひとつです。1951年に描かれた原画“Knight page and monk”はパリ国立ピカソ美術館に所蔵されています。
“Knight page and monk”は、一見するとその当時ピカソが夢中になっていた中世の騎士道を描いた作品のようにも思われますが、大仰なまでの鎧を着た騎士と騎馬の姿からは、ロボットのように人間性を失った騎士が戦場へ出陣していく不毛さと空虚さを訴えています。
タペストリーの歴史は紀元前にまで遡ります。
11世紀初頭に、東方より持ち帰った丁寧に織り込まれた絨毯を壁に掛けたところ。装飾品としてだけではなく可部の隙間風を防ぐ断熱効果も認められたことで需要が高まり、ヨーロッパでもタペストリーが生産されるようになりました。
当時のタペストリーには、宗教的な絵柄や神話的な絵柄が多く描かれており、特に「聖書」が最もポピュラーな題材でした。
20世紀にはいるとピカソ、フェルナン・レジェ (1881-1955)、マルク・シャガール (1887-1985)など多くの近代画家が自らの作品をタペストリーとして再制作するようになりました。
タペストリーは、熟練された職人の手作業によって作られるもので、制作には何ヶ月も、時には1年近くの時間を必要とするものもあります。
パブロ・ピカソ(1881-1973)
スペインに生れ、おもにフランスで活躍した画家、彫刻家,、画家。美術教師の息子。
バルセロナの美術学校およびマドリードの王立美術学校に学ぶ。 1900年パリを訪れ、1904-1909年パリのバトー・ラボアールに居住。
世紀末芸術的作風の「青の時代」 (1901-1904) 、「バラ色の時代」 (1905-1906) を経て、1907-1908年 ジョルジュ・ブラック (1882-1963)らとキュビスムを創始。
1917年に セルゲイ・ディアギレフ (1872-1929)のバレエ・リュスの舞台装置・衣装を担当。 1918年頃からギリシア、ローマの古典主義的な「新古典主義時代」、1925年にはシュルレアリスム運動に接近、1929-1931年有機的形態のオブジェを制作した。
第2次世界大戦中はドイツ軍占領下のパリで静物画を多数描く。戦後は一時共産党に入党。おもに南フランスに住み様式や形式を超越して旺盛な創作を続け、陶芸、彫刻、版画、ポスター制作にも新生面を開いた。パリ、バルセロナにピカソ美術館がある。
主要作品「アビニョンの娘たち」 (1907ニューヨーク近代美術館) 。「ゲルニカ」 (1937国立ソフィア王妃芸術センター) など。
広島駅南口Cブロック再開発のエキシティー広島が2017年4月グランドオープンしたことは広島駅を利用する時横目で見て知っていましたが、1年半あまり過ぎた2018年9月、この地に鎮座していた友元神社が、エキシティー広島の屋上スペースに遷座したことを知っていましたので、遅まきながら参拝しに行ったのです。
その時その屋上に出る手前の店舗の通路壁に掛けてあるこのタペストリーに目が行ったのです。
説明板(上記)が設置されておりピカソ作品のタペストリー版であることがわかりましたので撮影しこの頁を編集しました。説明文には、タペストリーの歴史も記述されなかなかの内容でしたが、文責任者につながる記述はありませんでした。
 19.06.11.裕・記編集

18.09.19.撮影
広島市南区松原町3-1-1 EKICITY HIROSHIMA3階

18.09.19.撮影




野外彫刻など」編

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