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安芸区中野の老人集会所前に建立されている「二宮金次郎像」です。 |
紀元二千五百九十六年
昭和十一(1936)年五月
寄附者中野村
葉田永作 |
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台座裏の名板によると葉田永作とありましたが、像自体には鉄堂作と彫られていました。葉田永が鉄堂という号を使用していたのか?台座と二宮金次郎像(が小さすぎる?)のバランスが悪いことから、葉田永作の金次郎像が戦時中供出され、戦後鉄堂と号する人物が金次郎像を造ったのかとも考えましたがわかりません。 |
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わが町の中野小学校隣、老人集会所前に設置されている二宮金次郎像(二宮尊徳幼時の像)です、忠勇義烈を撮影に行ったときに根際に設置されていましたので撮影しました。 |
07.01.17裕・記編集 |
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関連頁:「忠勇義烈」碑 |
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06.12.21.撮影 |
広島市安芸区中野4-21-2 (老人集会所) |
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きんけん
勤倹 |
勤勉で倹約につとめる・こと(さま)。 |
ちさん
治産 |
1)生計を立てること。
2)財産の管理・処分。 |
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(にのみやそんとく)
二宮尊徳:
(1787-1856) |
江戸後期の農政家。通称、金次郎。相模国の人。
合理的で豊富な農業知識をもって知られ、小田原藩・相馬藩・日光神領などの復興にもあたる。その陰徳・勤倹を説く思想・行動は報徳社運動などを通じて死後も影響を与え、明治以降、国定教科書や唱歌などにも登場。 |
(ほうとくしゃ)
報徳社: |
1843(天保14)年二宮尊徳の指導のもと小田原に設立された農民扶助のための相互融資機関。尊徳の死後も門弟により各地に相次いで設立され、独立自営農民を主体とする結社として明治維新以降も発展、1924(大正13)年大日本報徳社の結成に至った。 |
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