岡本太郎(岡本太郎生誕100年企画展にて)

  『2011(平成23)年は、岡本太郎(1911-1996)の生誕100年にあたります。岡本太郎といえば、1970(昭和45)年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」、そして「芸術は爆発だ」をはじめとするインパクトにみちた発言、数々のテレビ出演など、20世紀後半の日本において、最もよく知られた芸術科のひとりといえるでしょう。
1996(平成8)年没してからも、若い世代を中心に再び岡本太郎に関心をもつ人々が増えてきています。この展覧会では、「顔は宇宙だ。」をタイトルとして「眼」「顔」「宇宙」のテーマをテーマを以て構成する展覧会になっています。』
岡本太郎 (おかもと たろう:1911-1996)
洋画家・彫刻家。東京生まれ。一平(現代漫画家:1886-1948)・かの子(歌人:1889-1939)の長男。東京美術学校洋画科、ソルボンヌ大学哲学科で学ぶ。
パリで抽象芸術やシュールレアリスム運動など前衛運動に参加。1940(昭和15)年帰国。1942(昭和17)年徴兵令状を受け中国戦線へ。1970(昭和45)年(に大阪万博に「太陽の塔」を制作。絵画作品に「傷ましき腕」など。
岡本太郎マネキン
1975(昭和50)年 合成樹脂   岡本太郎記念館蔵
マネキン制作会社(現在・株式会社七彩)からフレッシュ・キャスト・りプロダクション(FCR)という画期的な製法を開発したので、岡本太郎にモデルになってほしいと要請がありました。岡本は裸で大きな容器にすっぽりと入り、周りから樹脂を流し込み、直接岡本太郎本人から型を取らせました。しわや指紋までも忠実に再現されたマネキンが完成し、「第4回店舗システムショー」(1975年3月)に出品され、大きな話題になりました。
広島パルコ、岡本太郎生誕100年企画展の入場口の処に展示されていました。(わたしに比べても)小さな像でしたが岡本太郎等身大のマネキンとありました。TVなどでしかみたことがありませんでしたが、小柄な人だったことをこの像で(わたしは)はじめて知りました。
期間を過ぎたら岡本太郎記念館に行かなくては見られないのでしょうが、期間中は撮影しようと思った方は誰もが撮影している作品でしょうから、広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編で紹介しました。
11.12.26裕・記編集

11.12.10.撮影
広島市中区本通10-1  (広島パルコ新館5階)

11.12.14.撮影

11.12.14.撮影
岡本太郎本人等身大:156cm 「顔は宇宙だ。」のポスター

11.12.10.撮影

11.12.14.撮影
岡本かの子 (1889-1939) 岡本 敏子 (としこ:1926-2005)
小説家・歌人。東京の生まれ。本名、カノ。跡見女学校卒業。女学校在学中から新詩社に参加、「明星」「スバル」に短歌を発表。漫画家岡本一平(1886-1948)と結婚。仏教の研究家としても知られる。歌集「かろきねたみ」、小説「鶴は病みき」「母子叙情」「老妓抄」「生々流転」など。 千葉県生まれ。東京女子大学卒業。岡本太郎の秘書から、養女。実質的な妻。
敬称は略しました



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