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『吉備路とは、岡山市の北西部から総社市にかけての一帯の総称です。
田畑の中に佇む備中国分寺の五重塔が吉備路のシンボル的な存在であり、その周辺が吉備路の中心地区となっています。この付近はかつて古代吉備王国時代の中心地だったと考えられており、吉備路沿いには史跡が多くあります。現在は倉敷市である、総社圏域の一部でもある真備町も含める場合もあります。岡山市の吉備中山東部(一宮地区)のみ備前国で、残りはすべて備中国となります。』とWikipediaでは解説しています。
吉備路という名称は、近年になってから、旧山陽道筋で吉備国を通過する道という意で称されるようになったようです。 |
きび
吉備 |
上代、山陽道にあった国。のち、備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・備後(びんご)・美作(みまさか)の四国となる。現在の岡山県全域と広島県東部。 |
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最上稲荷に初詣に行った2001年が吉備路ぶらり散歩のはじまりですが、渋滞に巻き込まれ参った参ったのはじまりでしたが、渋滞中に見た血橋なる由来が今(2005)年にわかったりと、まだまだ終らぬ吉備路ぶらり散歩と思っています。 |
岡山・吉備は大和、北九州と並び栄えた古代吉備王国の中心地だったということはぼんやりと知っていましたが、緑豊かな田園地帯をゆけば古墳が神社仏閣がいにしえの物語をささやきかけてくるのです。
今(2005年)回は車で移動しましたが、レンタルサイクルもあるようですし、健康志向でぶらリ散歩にはもってこいの処のようでした。 |
11.10.31再編集 05.11.06編集 01.01.05裕・記編集 |