(太宰府天満宮)筆塚、野見宿祢碑

  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側に建立されている「筆塚」と「野見宿祢碑」を取り上げました。
※他に、「荻原井泉水句碑」「包丁塚」も建立されていますので別頁で取り上げています。
2018年太宰府天満宮を参拝した時に、社殿裏側の梅林に行こうとしたときにみた複数の石碑を取り上げました。
撮影後、近くの茶屋でいただいた焼き立ての梅ヶ枝餅をふうふういながら食べました。焼きたての梅ヶ枝餅の美味しかったことを記述していかなければと思ったのです。
19.10.06.裕・記編集
筆塚(ふでづか)
  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側の処に建立されている「筆塚」です。

設置の説明板によると
『菅公は、書道三聖と崇められ、書道の神として信仰されました。
筆塚は、使いお自分の筆に感謝してえた納める場所で、七夕揮毫会の表彰式の日、筆塚祭が斎行されます。』
三聖[三生]とは、
平安時代末期の書論「夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)」に、三聖として、空海(774-835)・天神(菅原道真:845-903)・小野道風(894-967)の3人を挙げているそうです。
広島市西区の天満宮で筆塚(昭和51年8月建立)を2011年見ていましたので、ここ太宰府天満宮に建立されて撮影して頁にするかと思ったのです。
ここで取り上げた筆塚の建立年はわかりませんでしたが、筆塚祭(参加自由)は50回を超えているようですので昭和40年代かなと思ったのですが。

18.04.28.撮影
福岡県太宰府市宰府   太宰府天満宮

18.04.28.撮影

18.04.28.撮影
野見宿祢公碑(のみのすくね・ひ)
  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側の処に建立されている「野見宿祢公碑」です。
設置の説明板によると
野見宿祢は、菅原道真(845-903)公の祖先にあたり、わが国における相撲の祖神とされています。
碑の前にある力石は、江戸時代若衆が力自慢をしたものです。
野見宿祢は、
日本の伝説上の人物。天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫。
(第11代)垂仁天皇の命により、当麻蹴速(たいまのけはや)と力を争って勝ち、相撲取りの祖とされる。
また、皇后の死に際し、殉死の代わりに陵墓に埴輪を立てることを進言し、土師臣(はじのおみ)と称して、子孫は天皇家の葬儀をつかさどった。
土師氏の中には、姓を菅原に改めた氏があり、その菅原氏から公家の五条家が出たが、五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家となったそうです。
まず、石碑前の力石が写っていない(わずかにしか)ことを恥ずかしながら述べておかなければなりません。
東京の富岡八幡宮で力石を見て以来、広島県内でも見たら撮影していました。
野見宿祢のことは知っていましたが、力石とのつの繋がりはこの説明板を読んでそうだなと思ったのです。近くなら再度撮影にとなるところですが、次の機会があった時は撮影ミスとならないようにと思っている処です(ので)。

18.04.28.撮影
福岡県太宰府市宰府   太宰府天満宮

18.04.28.撮影

18.04.28.撮影



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