(太宰府天満宮)梅楽座の礎石

  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮幼稚園近くに展示されている「梅楽座の礎石」を取り上げました。
※展示場所で発掘されたのではなく、幼稚園がある場所で発掘調査されたものです。
   梅楽座の礎石(ばいらくざのそせき)
中央が凹んだ石は、大正6(1917)年より昭和15(1940)年頃まで、この地にあった「梅楽座」の廻り舞台の心棒を支える礎石です。
梅楽座は、歌舞伎をはじめ、文楽、義士劇、後には映画なども行った芝居小屋でした。
平成20(2008)年幼稚園の改築の発掘調査で、これより西へ25mの地点より出土し、建物全体の遺構も検出されました。
石は、地元の「宝満御影」とよばれる石材です。
                   太宰府天満宮社務所
宝満山は、大宰府政庁の鬼門(北東)の方位にあたり鬼門封じの役目があると云われています。
わたしは、この宝満山登山に西鉄太宰府駅から太宰府天満宮を通り何度も上ったことがあります。花崗岩質の山だったので昔は御影石を切り出していたのだとこの説明板で知りました。
福岡県太宰府市教育委員会は2008年8月11日に次のように発表したそうです。
『大正時代から昭和初期にかけて太宰府天満宮の門前町にあった芝居小屋「梅楽座」の回り舞台の遺構が見つかった(と発表したそうです)。
天満宮周辺には明治、大正時代に3つの芝居小屋があったとされるが、文献記録もなく実態は不明だった。
遺構が見つかったのは初めてで、市教委の担当者は「大衆文化が花開いた当時の門前町のにぎわいを示す貴重な発見」と話している。
発見されたのは、奈落と呼ばれる舞台下の地下室の基礎部分で、回り舞台を設置するために直径約6mの円形に掘り下げられていた。中心には、回り舞台の心棒が刺さっていた礎石が残り、心棒を周囲から支えた支柱の礎石数個も見つかった。
今回の発掘や聞き取り調査から、梅楽座の広さは約550㎡、建物は一部中3階がある2階建てで、500人ほど収容できたと推定される。歌舞伎や文楽、義士劇が上演されていたという。』
2018年太宰府天満宮を参拝した後、いつものように心字池西側の社務所前の道を歩いていた時に気付いたのが、ここで取り上げた梅楽座の展示されている礎石でした。
広島県上下町に翁座という同じような時代に造られた芝居小屋がいまも残っていますので、ここ太宰府にあっても何ら不思議とは思わなかったのですが、(文献資料もなく無く)忘れられ去っていった芝居小屋に思いをはせたのです。
子どものころから参拝後この道を歩いて西鉄太宰府駅に行っていましたが、幼稚園があったのだと意識したのは今(2018年)回でしたので、正月が主で休園中だったとはいえ半世紀以上もぼんやりと歩いていたわたしでした。
19.10.07.裕・記編集

18.04.28.撮影
福岡県太宰府市宰府   太宰府天満宮

18.04.28.撮影
(礎石中央の窪みをみました)

18.04.28.撮影

18.04.28.撮影
(この礎石が展示されているのは幼稚園東の道路を挟んだ東側心字池緑地帯の中です)



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