太宰府天満宮(概説)
  福岡県太宰府市宰府4-7-1に鎮座している「太宰府天満宮」です。
太宰府天満宮は、菅原道真公の墓所の上に社殿を造営して神霊を奉祀する神社で、「学問の神」「至誠の神」であるといわれています。
延喜3(903)年2月25日、菅公(カンコウ)は謫居(タッキョ)の地、榎寺(別称・榎社)において生涯を終え、遺骸を牛車に乗せて進んでいましたがその牛が伏して動かなくなりその地に遺骸を葬ったそうです。
京より追従した、門弟・味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(シビョウ)を創建、次いで左大臣藤原仲平(875-945)は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19(919)年に社殿を建立しました(安楽寺天満宮の創祀)。
醍醐天皇(第60代:885-930)は菅公の生前の忠誠を追懐されて、延長元(923)年に本官を復されそして、一条天皇正暦4(993)年には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められました。
その後、度重なる勅使の下向があり、二十二社(社格)に準ぜられました。
明治4(1871)年国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更。明治15(1882)年に官幣小社。明治28(1895)年には官幣中社に列せられました。昭和22(1947)年社号を太宰府天満宮。現在(神社本庁の)別表神社。
太宰府天満宮は天神さまの聖廟の地と称えられています。
(すがわらのみちざね)
菅原道真:
(845-903)
平安前期の学者・政治家。是善の子。菅公(かんこう)・菅丞相(しようじよう)と称される。
宇多・醍醐両天皇に重用され、文章博士・蔵人頭などを歴任、右大臣に至る。この間894年遣唐大使に任命されたが建議して廃止。901年藤原時平の讒訴(ざんそ)で大宰権帥に左遷、翌々年配所で没した。
性謹厳にして至誠、漢詩・和歌・書をよくし、没後学問の神天満天神としてまつられた。
「類聚国史」を編し、「三代実録」の編纂(へんさん)参与。詩文集「菅家文草」「菅家後集」
今回久しぶりに太宰府天満宮に訪ねました。正月といったら初詣は太宰府へといった時期がありましたから、福岡(天神)から二日市乗換えで太宰府に西鉄電車@390円(2002年8月15日現在)に乗って行きました。門前の店々も昔とは違い明るくなっていましたが、何処となく元気がない?ように・・梅ヶ枝餅、カリカリ梅ぼしをお土産に買いました。大樟(クス)があることは知っていましたが天然記念物だったことは今回知りました。
21.10.22更新  02.08.17裕・記編集
   関連頁  太宰府天満宮の絵馬

02.08.15撮影

18.04.28.撮影

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西鉄太宰府駅 (西鉄太宰府駅前)
鷽をのせた郵便ポスト
(太宰府名物)
梅ヶ枝餅
(太宰府土産)
カリカリ梅
19.08.01.更新  19.0.02.編集 21.10.22.更新 04.04.27更新

02.08.15撮影

18.04.28.撮影

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太宰府位置図 太宰府天満宮境内略図 表参道 「かおり風景百選」碑 「御神牛」像
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02.08.15撮影

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08.04.28撮影

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(奥部)参道 心字池 太宰府天満宮楼門 (太宰府天満宮境内)
徳富蘇峰詩碑
(太宰府天満宮境内)
麒麟および鷽像
19.08.03.再編集 19.08.04.更新 19.08.04.編集 19.08.04.更新 19.08.04.編集

02.08.15撮影

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18.04.28撮影 
太宰府天満宮本殿 (太宰府天満宮)
本殿内部
(太宰府天満宮本殿前)
飛梅
天然記念物・大樟 天然記念物・夫婦樟
19.08.05.再編集 19.08.05.再編集 19.08.05.再編集 19.08.05.再編集 10.10.06.編集

18.04.28撮影

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18.04.28撮影

18.04.28撮影

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(太宰府天満宮境内)
包丁塚
(太宰府天満宮境内)
荻原井泉水句碑
(太宰府天満宮境内)
筆塚
(太宰府天満宮境内)
野見宿祢公碑
(太宰府天満宮脇参道)
梅楽座礎石
19.1.06.編集 19.1.06.編集 19.1.06.編集 19.1.06.編集 19.1.07.編集



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