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福岡市東区志賀島に鎮座している「志賀海神社」です。 |
志賀海神社は、綿津見三神(仲津綿津見神、底津綿津見神、表津綿津見神)を祀り、古来より海の守護神として信仰されてきました。
海上交通の要所である玄界灘を望む博多湾の入口に鎮座し、海人部(あまべ)の伴造(とものみやつこ)として著名な阿曇(あずみ)族に奉祀されました。
大同元(806)年阿曇神に神封八戸が与えられ、貞観元(859)年には従五位上、また元慶4(880)年には賀津万神(志賀海勝馬の祭神)に従五位下の神階が授けられています。 |
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平安時代の「小右記」には志賀海神社社司の対宋交通が記され、中・近世には大内氏、小早川氏、黒田氏の加護をうけていたことが当社に伝えられた文書(福岡市指定文化財)によってわかります。
社蔵の鍍金鐘(国指定重要文化財)は高麗時代後期の特色がよく表われ、境内の完存する石造宝筐印塔(福岡県指定文化財)は銘文から貞和3(北朝1347)年に造立の時期が考えられます。
神事のうち1月中旬に厄病退散と五穀豊穣、豊漁の意味を兼ねて行われる「歩射祭」、4月15日と11月15日の春秋に神功皇后伝説にちなんで狩漁を演じる「山ほめ祭」、10月初旬の夜間に遷幸・遷御と芸能が奉納される「神奉行事」はいずれも福岡県の無形民俗文化財に指定されています。 |
福岡で育ったので、夏になると海水浴で志賀島に何度も来たことがありますが、この志賀海神社をお参りしたことはなかったのです。
今(2008年4月)回義父の法事で志賀島に来ましたので、法事が終わってからはじめて訪ねました。
義兄に志賀海神社にお参りしてきたと話すと、鹿角堂(ろっかくどう;-説明板によると-しかつのどう)で鹿の角を見てきた?たくさん奉納されとったろうと云われたのですが見ていなかったのです。
志賀島を訪ねるのがこれで最後ではなのだろうから次の機会にはしっかりとみなくてはと思っているところです。 |
2018年義父義母の法事で、広島からは新幹線で博多へ出て香椎線に乗り換え西戸崎駅まで行き迎えに来てくれたたので車で(志賀島の)女房の実家に行きましたので、途中志賀海神社前で降ろしてもらい一人で参拝し、参拝後女房の実家へ歩いて行きました(ので)。
今回渡船乗り場付近に建立されている一の鳥居、鹿角堂(別頁で編集)などを編集することにしました。 |
19.07.24.更新 08.06.09裕・記編集 |
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18.04.28.撮影 |
福岡市東区志賀島736付近 志賀島旅客待合所出てすぐ 「参道石碑」と「一の鳥居」 |
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18.04.28.撮影 |
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08.04.28撮影 |
福岡市東区志賀島877 志賀海神社 |
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18.04.28.撮影 |
「御潮井(清め砂)」を左、右、左と軽くふり清めて一礼してお参りして下さい(新しい説明板)日本語外、英語・中国語・ハングル |
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08.04.28撮影 |
大正15(1926)年官幣小社 |
志賀海神社参道の石段 |
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08.04.28撮影 |
神様だけ?の太鼓橋 |
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08.04.28撮影 |
08.04.28撮影 |
社殿 |
拝殿 |
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18.04.28.撮影 |
拝殿から(幣殿)本殿方向をみました |
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08.04.28撮影 |
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08.04.28撮影 |
本殿 |
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18.04.28.撮影 |
楼門 |
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08.04.28撮影 |
荒神社、祇園社、大神宮社、惣社の境内社 (社殿後ろ側に位置しています)
平成17(2005)年の福岡県西方沖地震で一部損壊している土蔵が目に留まりました。 |
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08.04.28撮影 |
08.04.28撮影 |
08.04.28撮影 |
08.04.28撮影 |
08.04.28撮影 |
(志賀海神社末社)
印鑰社 |
亀石 |
万葉歌碑
(志賀島第一号歌碑) |
(福岡県指定有形文化財)
石造宝篋印塔 |
日露戰役紀念碑 |
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