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福岡市東区志賀島の“志賀海神社”境内に祀られている「亀石」を取り上げました。 |
神功皇后は、三韓出兵にあたり志賀大神の御神助を仰ぐため御神議を行うが、志賀島の阿曇磯良(あづみのいそら;海の神)丸※だけが出席しなかった。
そこで皇后は神楽を奉し七度目にしてようやく(当時志賀海神社の祭神であった)磯良丸を招き七日七夜の神楽を奉して志賀大神へと祈願されました。お立ちになって御出現され皇后を擁護されたのです。
金色雌雄の亀は亀ヶ池・亀栖ヶ池に放たれるが、いつの世か御石となって現れ寛文10(1670)年4月1日に当社へ移されたと伝えられています。 |
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阿曇磯良は「阿曇磯良丸」と呼ぶこともあり、船の名前に「丸」をつけるのはこれに由来するとする説もあるそうです。 |
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遥拝(ようはい) |
遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと。 |
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30余年前に友と行った奈良・明日香村で、石舞台とともに亀石をみたように思うのですが、はっきりした記憶が呼び戻せないのです。
福岡で育ったわたしですが、この亀石のことは今(2008年4月)回までここ志賀海神社にもあることを知りませんでした。説明板を読んでいてどちらが雄でどちらが雌かと思っていたときに、神主がこの亀石の所にこられ東方に向かって拝まれました(最初の画像)。 |
2018年再び参拝した時みると柵の中に賽銭箱が設置されていました。
2008年の時は遥拝先の玄界灘の風景が写り込んでいなかったので今回は晴れていましたので撮影したので、その画像も掲載しました。 |
19.07.24.更新 08.11.28裕・記編集 |