(志賀海神社)鹿角堂
  福岡市東区志賀島の“志賀海神社”境内に建てられている「鹿角堂(しかのつのどう)」を取り上げました。
*「鹿角堂」の読み方について、
志賀海神社web siteでは「しかのつのどう」と読んでいます。
・(福岡市設置の説明板には“しかつのどう”。
・Wikipediaは“ろっかくどう”と呼んでいます。
※また、鹿角堂根際に福岡市保存樹・イヌマキがありました。(下段でとりあげました)
鹿角堂起源: 神功皇后(仲哀天皇の后;応神天皇の母)が対馬で鹿狩りをされた折に奉納したのが起源で、以降、祈願成就の際に納められてきたものといわれ、現在1万本の鹿角が奉納されているそうです。
志賀島の名称: 鹿の島からきたものではないのです。
地名説として、志賀島が「打昇浜」(うちあげのはま、海ノ中道)と連なりほとんど同じ所といってよいということから、「近島」とよんだものがなまって「資珂島」となったと伝えられているそうです。
2008年義父の法事で志賀島に来て、法事が終わってからはじめて訪ね参拝した志賀海神社でした。
義兄に志賀海神社にお参りしてきたと話すと、(鹿角堂
で)鹿の角を見てきた?たくさん奉納されとったろうがと云われたのですが見ていなかったのです。
2018年再び義父・義母の法事で志賀島に来ました。今回は法事前に一人で参拝しました。
主目的はここで取り上げた鹿角堂で奉納された鹿の角を見ることでした。
以前は志賀島に鹿が生息していたと聞きますが、いまはイノシシがわがもの顔で闊歩しているそうです。
2008年志賀海神社の頁を編集した時「ろっかくどう」と記述していましたが、
2018年参拝した時、福岡市が日本語だけではなく英語・中国語・ハングルでも記述の新しい説明板を設置しており読むと「しかつのどう」と記述していましたので、Wikipediaがいう‘ろっかくどう’とは読まないとわかりました。
今(2019年)回頁を編集する時、志賀海神社のweb siteが公開されていることを知り、みると「しかのつのどう」とありましたので、これをこの頁では採用しました。
19.07.24.裕・記編集

18.04.28撮影
福岡市東区志賀島877 志賀海神社境内 

18.04.28撮影
 (鹿のモニュメントがありました)

18.04.28.撮影

18.04.28.撮影
 鹿の角が奉納されています

18.04.28.撮影

18.04.28.撮影
社殿     遥拝所(亀石               鹿角堂)
福岡市保存樹 
  鹿角堂根際にある「福岡市保存樹イヌマキ東区155」です。
鹿角堂を撮影する時には気が付かなかったのですが、この頁を編集する時保存樹の標識が写っていることに気が付いたのです。
福岡市住宅都市局 花とみどりのまち推進部 みどり活用課の資料をみるとおよそ1,800本が指定を受けているそうですが、数が多すぎるのでしょうここの保存樹の資料(リスト)がないのでここで取り上げたイヌマキの詳細データーはわかりませんでした

18.04.28.撮影

18.04.28.撮影 



「福岡ぶらり散歩」編


何処に行ってもぶらり散歩一覧



(広島ぶらり散歩)
  志賀海神社
(志賀海神社末社)印鑰社
  (境内の)鹿角堂
(境内の)亀石
(境内の)万葉歌碑(第一号碑)
(境内の)石造宝篋印塔
(境内の)日露戰役紀念碑
(番外)志賀海神社の絵馬


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