いみのみやじんじゃ
忌宮神社

  山口県下関市長府宮の内に鎮座している「忌宮神社」です。
第14代仲哀天皇が、九州の熊襲を平定のため西下、豊浦宮を興して7年間政治を行われた旧址で、仲哀天皇が筑紫の香椎で崩御された後、神霊を鎮祭しました。その後、第45代聖武天皇(701-756)の神亀5(728)年、信託によって神功皇后を奉斎して忌宮と称し、さらに第15代応神天皇を祀り豊明宮と称しました。
三殿別立の延喜式内社でした、中世における火災の際中殿忌宮に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになりました。
忌とは斎(いみ)と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する意味です。
現在の社殿は、明治10(1877)年の造営で、昭和56(1981)年に改修しました。古来、文武の神として歴朝の尊崇武将の崇敬篤く、安産の神として庶民の信仰を受け、長門の国二ノ宮として広く親しまれています。
旧社格は国幣小社。長門二ノ宮。現:別表神社。
昼食を頂き一服してから長府の街をぶらり散歩となったのですが、画像でもお分かりになるでしょうが、(雪ではなく)雨模様で、レンズに雨粒はつくなど、歩きづらい悪条件の中でした。
食事を頂いた宮の内茶寮はこの忌宮神社の境内にあるのではと思うほどで、出てすぐのこのお宮に参拝しました。
神功皇后の三韓出兵では、広島の地にも立ち寄られ、種々の逸話が伝えられていますので、少しばかり知っていましたので、ここ(下関市)長府の地でも、(わたしが知らなかっただけでしょうが)伝えられる話(の一部でしょうが)を知ることができました。
 12.01.20裕・記編集

09.01.29撮影
山口県下関市長府宮の内1-18

09.01.29撮影

09.01.29撮影

09.01.29撮影

09.01.29撮影
忌宮神社社殿、荒熊稲荷神社

09.01.29撮影



「山口ぶらり散歩」編


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忌宮神社
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「長府」編


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