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下関市長府宮の内町の乃木神社に建立されている「乃木将軍御夫妻銅像」です。 |
乃木将軍御夫妻殉死五十年祭にあたり、乃木静子刀自命の御神霊合祀、乃木将軍御夫妻銅像を建立し、萬民崇敬の象徴としました。昭和37(1962)年9月13日 |
乃木希典(のぎまれすけ:1849-1912) |
陸軍大将。長州藩出身。西南戦争・日清戦争に出征。日露戦争では第三軍司令官として旅順を攻略。のち、学習院院長。明治天皇の死に際し、妻とともに殉死。
辞世「うつし世を神さりましし大君のみあと慕ひて我は行くなり」
「神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにおろかみまつる」 |
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乃木 静子(のぎしずこ:1859-1912) |
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鹿児島藩医・湯地定之の4女。明治天皇の死に際し、夫とともに殉死。
辞世「出でましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふぞかなしき 」 |
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ここ下関市長府の乃木神社を参拝した後境内を巡ってみたのです。
目に入ったのが、この乃木将軍御夫妻銅像でした。明治天皇崩御後、大葬当日に夫妻で殉死という道を選んだことは、1991(平成3)年東京・赤坂の乃木神社を参拝した時に相殿に乃木静子命を祀るということで知りましたが、その赤坂の乃木神社で銅像があったかの記憶がないわたしでした。雨の中でしたが、頁を編集しようと撮影しました。作者はサインから竹内不忘ということがわかりました。 |
12.01.26裕・記編集 |