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下関市長府宮の内町の乃木神社に復元されている「乃木旧邸」です。 |
乃木旧邸(長府宮の内町) |
乃木希典(のぎまれすけ)は、嘉永2(1849)年11月11日長府藩士乃木希次の子として、江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれましたが、安政5(1858)年、十歳のとき父とともに長府の地に帰り、十六歳で萩に従学するまで、私塾集童場において学ぶなど、長府城下で過ごしました。
現在保存されている乃木旧邸は大正3(1914)年、乃木記念会(幼友達・桂弥一)がそのゆかりの地に、忠実に復元したもので、家屋の造りは、六畳と三畳の二間、押入、それに二坪の土間という極めて質素な生活をしのばせています。
また、調度品等も当時を再現したもので、風呂敷包が天井につりあげてあるなど、生活の工夫もみられて興味深い。なお、六畳の間に相対して置かれている父、母、そして少年からなる三体の等身大木彫座像は、乃木大将の甥にあたり、明治から大正にかけて活躍した著名な彫刻家長谷川栄作の制作によるもので、乃木少年が、父親から訓話を受けている場面が、見事に表現されています。 |
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ここ(下関市長府)乃木神社に乃木希典が10歳から16歳まで生活した(お父さん・希次の)家が再現されています。
拝見すると6畳と3畳ふたま(しかない)質素な家で育ったことを(わたしは)知りました。武士として、士農工商という身分制度があった時代で、それで云えば武士という一番上に位置していた乃木家であってもこのような家(住居環境)であり、江戸時代だったから電燈もなく、上水道もない時代だったのだと改めて思いをめぐらしたわたしでした。 |
説明板にある『風呂敷包が天井につりあげてある』ところが(わたしの画像では)撮影できていません。
(広島市内なら頁を編集する時点で再度撮影に行ったのでしょうがそれができませんので)この頁をみて、訪ねた方には、是非にも、天井部分が写る構図で撮影していただきたいと思ったので恥ずかしながら敢えて記述しました。 |
12.01.27裕・記編集 |