(長府)國分寺址

  山口県下関市長府宮の内にあったという「(長府)國分寺址・碑」を取り上げました。
国分寺跡       平成8(1996)年3月31日 城下町長府まちづくり協議会、長府観光協会
聖武天皇が天平13(741)年国家平安を祈り諸国に建立した国分寺の一つ。
当地から北にかけた一帯がその境内地跡。地形上 他国のものより寺域が小さく方一町(≒9917.4u)程度と推定されています。
中世は大内・毛利両氏、近世は長府毛利氏の庇護をうけていましたが、維新後次第に寺勢が衰退。明治23(1890)年本(下関)市南部町の大隆寺跡に移転しました。
国分寺跡からは創建時の軒丸瓦や土器などが出土、長府博物館や教育委員会で保存しています。また寺宝の「不動明王立像」「十二天曼荼羅図」は国分寺*に現存しともに重要文化財に指定されています。
※(浄瑠璃山)国分寺: 山口県下関市南部町4-1
もともと長府の国分寺跡にあったものを、明治23(1890)年に廃寺となっていた大隆寺跡の現在地へ移転したものです。昭和20(1945)年の空襲で、本堂などの建物は焼失したが、寺宝である「木造不動明王立像」、「絹本着色十二天曼荼羅図(けんぽん ちゃくしょく じゅうにてんまんだらず)」(ともに重要文化財)は、奈良に疎開していて無事残されています。境内には、地蔵堂、不動堂の他、油をかけて願をかける「油かけ大黒」や正一位稲荷神社などもあるそうです。
(こくぶんじ)
国分寺:
天平13(741)年聖武天皇の勅願により、国分尼寺(こくぶんにじ)とともに国ごとに建立された官寺。正式には金光明(こんこうみょう)四天王護国之寺という。国内の僧尼の監督に当たり、また朝廷の特別の保護があった。奈良の東大寺を総国分寺とする。
ここ(下関市)長府に来るまで、長府に国分寺があったことを(わたしは)知らなかったのです。
国分寺の事は、東広島市西条の安芸国分寺の頁を編集する時に少し調べていましたが、お隣の山口県では、ここ長府国分寺跡をみた後になりましたが、防府市の周防国分寺を訪ね拝観しました。
しかし、ここ長府国分寺跡・石碑はみましたが、明治になって移ったという南部町の国分寺には行っていません。
12.01.31裕・記編集

09.01.29撮影
山口県下関市長府宮の内7-8

09.01.29撮影



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