にちらいじ
日頼寺

  下関市長府侍町に建てられている「大雲山・日頼寺」です。
大雲山・日頼寺は、臨済宗のお寺です。もとは天台宗で小比叡山極楽寺と称し、瑞雲上人の開山と伝えられますが、創建年月日は明らかではありません。
これを慶長年間(1596-1615)、長府藩初代藩主毛利秀元(1579-1650)が再建し、仏智大照国師を京都・東福寺から迎えて臨済宗とし、毛利元就(1497-1571)の菩提を弔う意味で、その法号にちなみ大雲山日頼寺と改称しました。後、明治2(1869)年にいったん廃寺となり、明治4(1871)年に再興して大雲山常楽寺と改めましたが、明治22(1889)年に再び日頼寺の旧号に復しました。
寺宝として、観応2(1351)年の仲哀天皇(第14代)聖跡地綸旨、足利尊氏(1305-1358)、大内義隆(1507-1551 )、毛利元就、毛利秀元等諸公の古文書など多数を蔵しており、また、境内地北面にあたる小高い丘の一角には、仲哀天皇殯斂(ひんれん)地と伝えられる遺跡があります。これは、四世紀頃の大和朝廷伝承の一つである熊襲討伐の際に、筑紫の香椎において亡くなられた仲哀天皇のご遺体を、その后の神功皇后がここに仮奉安されたというものです。 
とうふくじは
東福寺派
臨済宗の一派。円爾(えんに:1202-1280)を祖とし、慧日山・東福寺(京都市東山区本町十五丁目)を本山とする。
交流ウォーク番外編で訪ねたここ下関市長府地区での最後の見学地が時間的な事もありましたが、昼食中に仲哀天皇御殯斂地にしようと話が決まりました。ここ日頼寺の境内にその地があるということから訪ねたのです。
お寺の説明板が設置されていましたので日頼寺の縁起がわかりこの頁を編集できました。
12.02.12裕・記編集

09.01.29撮影
山口県下関市長府侍町1-10-1

09.01.29撮影

09.01.29撮影
臨済宗東福寺派 大雲山 日ョ禪寺 昭和62(1987)年8月

09.01.29撮影



「山口ぶらり散歩」編


「広島以外の神社仏閣」



(広島ぶらり散歩へ)
大雲山日頼寺
仲哀天皇御殯斂地


「長府」編


inserted by FC2 system