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神辺という地名は、古代、豊玉姫命を祀る神の森である「かみなび(神奈備)」が「かんなべ(神辺)」となったそうです。
中世、市場町として栄え、南北朝時代(14世紀)に備後国守護所として神辺城が築かれ、備後国の政治的中心地となりました。1619(元和5)年水野勝成(1564-1651)が神辺城に移りましたが城構えの不備をみて(現在の)福山城の地に築城しました。以来、神辺は山陽道(西国街道)の宿場町として栄えました。現在染色と織物の町から福山市のベットタウン的性格が強まり、2006(平成18)年福山市に編入されました。 |
1889 |
明治22年4月1日 |
市制町村制施行時、神辺町域には安那郡の上竹田村、川北村、川南村、下竹田村、中条村、道上村、御野村、八尋村、湯田村がありました。
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1898 |
明治31年10月1日 |
深津郡と安那郡が統合して深安郡となりました。 |
1929 |
昭和4年3月1日 |
川北村と川南村が合併して神辺町が成立しました。 |
1954 |
昭和29年3月31日 |
神辺町と竹尋村(1941年上竹田村+下竹田村+八尋村)、中条村、道上村、御野村、湯田村が合併して新しい神辺町になりました。 |
2006 |
平成18年3月1日 |
深安郡神辺町は、福山市に編入し消滅。 |
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2009年乗り放題切符で訪ねた神辺町でした。主目的は頼山陽(1780-1832)が塾頭をしたこともある菅茶山(1748-
1827)が開いた「廉塾」に行ってみることでした。
時間的なものもありましたので、地図をみて、JR神辺駅から神辺本陣〜廉塾〜菅茶山の墓所〜天別豊姫神社〜JR神辺駅というルートで計画しました。しかし、一里塚跡、菅茶山記念館、神辺歴史民俗資料館、備後国分寺跡などなど見学したいところがまだまだありましたが、いつになるか予定を立ててはいませんが次回の訪問時としました。 |
10.06.12更新 10.05.30裕・記編集 |
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09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
JR神辺駅 |
神辺本陣(西本陣) |
(神辺本陣) 札の間 |
(旧山陽道)神辺駅跡・碑 |
(神辺駅跡・碑) 菅茶山漢詩:神辺駅 |
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09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
廉塾 |
(廉塾) 講堂 |
(廉塾) 「方円の手水鉢 |
七日市荒神社 |
(七日市荒神社) 地神 |
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09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
天別豊姫神社 |
(天別豊姫神社境内建立) 慰霊碑 |
(天別豊姫神社境内建立) 平和塔 |
(天別豊姫神社境内建立) 重政誠之翁顕彰碑 |
(天別豊姫神社境内建立) 重政庸徳翁顕彰碑 |
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09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
09.10.12撮影 |
旧神辺町マンホール蓋
(汚水) |
旧神辺町マンホール蓋 (汚水) |
旧神辺町マンホール蓋 (汚水) |
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