(竹原市吉名建立)池田勇人胸像

  竹原市吉名町の光海神社前に建立されている森野圓象作の「池田勇人胸像」です。
現在の胸像は、建立時の複製作品です。
碑文には竹原市吉名に生まれるとなっていますが、勇人が生れた明治32年当時は(豊田郡)吉名村でした。
竹原市中央の竹原書院図書館前には森野圓象作の「池田勇人立像(和服姿)」が建立されています。
広島市中区基町には森野圓象作の「池田勇人立像(洋服姿)」が建立されていました。現在、複製作品。
建立板*1 碑文*2 修繕の銘板*4  建設委員会板*3
*1 昭和四十六(1971)年10月17日建立。
    題字:吉田茂(1878-1967)書。 彫刻制作:森野圓象(1903-1989 )
*2 池田勇人君ハ明治三十二年竹原市ニ生ル 京都帝國大学ヲ卒業シテ大蔵省ニ勤ム 性豪毅ニシテ誠実 善ク力ヲ尽シテ 其ノ仕ヲ全ウス 主税局長 大蔵次官ヲ歴任 推サレテ衆議院議員ニ当選シ 直チニ大蔵大臣トシテ混乱セル戦後ノ財政ヲ処理ス 爾来常ニ台閣ニ列シ 昭和三十五年自由民主党総裁トナル而シテ内閣を組織スルコト三度寛容ト忍耐ヲ政治姿勢トシ 所得倍増政策ヲ推進シテ 邦家ノ隆昌ヲ致ス 在職四年有余 恰モ東京オリンピック大成功ノ時遽ニ病厚クシテ大任ヲ辞ス 翌四十年薨去 正二位大勲位ヲ贈ラレル 郷党 ニ 象ヲ建テテ其ノ偉業ヲ讃エ敬仰ノ念ヲ新タニス
    昭和四十五(1970)年十二月 前尾繁三郎(1905-1981) 撰
*3 池田勇人先生胸像建設委員会  資金寄附者芳名
 *4   史先代内閣総理大臣池田勇人君之像修繕の銘
建立から四十四年の歳月を経て、各所老朽化が進みここに複製の製作に至る。
森野圓象氏の作 建立時の息吹を取り戻す運びとなる。
  平成二十七年碑七月
((建立時の銅像は溶解処分とし現物は存在しない)
今(2017年9月)回、呉線三原駅から吉名駅間(竹原駅は以前撮影済)の未撮影駅を撮影に行きました。
呉線三原駅~広駅間は日中1時間、それ以上の間隔の運転なのです。
次の電車の待ち時間に駅付近でマンホール蓋を撮影するだけではなく、少し散策して撮影できればと考えていましたので地図をみると駅からそう遠くない処に光海神社が鎮座していました参拝するかとみると、神社前に「池田勇人象」の表示があったので、生誕地の吉名にも池田勇人像が建立されたのだろうと思いました。
JR吉名駅で下車し駅舎を撮影してから光海神社の方へ向かいました。
地図で見た様に(神社前の)道路沿いに立像ではなく胸像が建立されていました。像の横に生誕の地・碑が建立されていましたのでいまはない生家だったのかなと思ったりしました。
胸像前に石畳があり説明板が設置されていましたので別頁で編集しようと思っています。
17.11.03.裕・記編集

17.09.08.撮影
広島県広島県竹原市吉名町2049  (光海神社前)

17.09.08.撮影
「池田勇人君生誕之地」石碑  「石畳の由来について」説明板  「池田勇人君」胸像

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
題字:吉田茂

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
池田勇人胸像が見つめる先は、竹原市立吉名小学校・校舎です

17.09.08.撮影



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