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竹原市吉名町宮条に鎮座している「光海神社」です。
※旧称光海八幡宮でした。 |
光海神社 小早川隆景奉納の法楽連歌(市重要文化財)
弘治3(1557)年11月28日吉名八幡宮法楽 賦船連歌の発句「のどけさは神のちかいかふゆの海」と永禄3(1560)年6月20日吉名八幡宮法楽
賦何人連歌の発句「神垣や初藻のみるめ手向草」 |
土居城 (水軍観光ルート)
延徳の頃(1489-1492)山口某の居城と伝えられています。
山の尾根が昔の海に入る岬の先端部を掘り切って築いたもので標高60mの丘頂を中心に東と南に郭がのびていたようですが、現在は国道、呉線によって分断され、南端は光海神社の境内になっています。
北側に石塔があり、この城の城主の墓所と伝えられています。下に土居屋敷、東に土居の鼻の地名が残っています・ |
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竹原市観光協会(設置) |
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祭神:
相殿神: |
玉依日女命、品陀和気命、息長帯日女命。
宗像三女神 |
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由緒: |
現在は、八幡神社と厳島神社の二社を並べて奉斎しています。
八幡は古くは光海八幡宮と称し、長和年間(1012-1017)山城国の岩清水八幡宮より勧請したと伝えられています。正和5年(1316)年の棟札を蔵しています。棟札は竹原市重要文化財(1971年12月27日指定)。小早川隆景(1533-1597)は当神社を崇敬し、天文8(1539)年、弘治3(1557)年、永禄3(1560)年に連歌を奉納しています。
厳島神社は、正慶2(1332)年及び応永3(1396)年等の棟札を伝える古社です。
明治44(1911)年に村内の小社を合祀して光海神社」と改称しました。 |
伝承: |
昔、この浦の沖にて翁六良左衛門を云う者が漁をしていると御神石が網にかかった。それを取り捨てると網にかかること三度、寄りて大岩の上に置く。その石、夜になると光を発して海中を照らし、昼の如し。神の鎮座の所を知らせめる者として、石清水八幡宮より勧請し、光海八幡として奉斎した。 |
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今(2017年8月)回、呉線広駅から先(三原駅側)の呉市に属する4駅と東広島に属する1駅を撮影に行きました。
広島駅~広駅間は日中20~30分間隔での運行ですが、広駅~三原駅間は1時間、それ以上の間隔の運転なのです。その間に近くを散策しようと思っていました。 |
JR吉名駅を撮影して次の電車を待つ間に行けそうなところがないかと思い、地図を見て駅近くに池田勇人像が建立されていることがわかり、その像がここで取り上げた光海神社の前だったので、池田像を撮影して参拝しようと計画しました。
池田像は胸像でしたが道沿いですぐにわかりました。その根際に石碑が数基建立されていました。石鳥居で光海神社であることはすぐわかり、石段を上っていき参拝しました。 |
17.11.13.裕・記編集 |