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竹原市吉名町宮条に鎮座している光海神社の境内に残されている「太閤松(遺木)」です。
※小早川隆景が朝鮮出兵時に戦勝祈願として植えたマツから“太閤松”と呼ばれていました。 |
太閤松伐採記念
「太閤松」とは、小早川隆景(1533-1597)が文禄の役(1592年)で朝鮮に出兵した際、戦勝祈願として当神社に植えたとされる松です。
御神木として永い間、尊ばれてきましたが、松くい虫の被害に遭い、1977(昭和52)年に伐採を余儀なくされました。
これらはその太閤松の切り落とした一部です。 |
文禄の役(ぶんろくのえき)
文禄元(1592)年豊臣秀吉(1536-1598)が明の征服を目的に朝鮮に出兵した侵略戦争。約16万の軍を釜山に上陸させ明の国境まで進出したが、明の援軍、朝鮮水軍の攻撃や民衆蜂起などによって劣勢となり停戦。 |
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豊臣秀吉の朝鮮侵攻には、文禄の役(1592年)と慶長の役(1597年)がありますよね。
小早川隆景は、1582(天正2)年居城を新高山城(本郷町)から瀬戸内海に面した三原城に移す。
“文禄の役”では6番隊の主将として1万人を動員して出陣し全羅道攻めるが、抵抗を受け本格的攻略を行わないうちに援軍に来た明軍に対応するため京畿道へ配置転換され、1593(文禄Ⅱ)年に碧蹄館の戦いで明軍本隊を立花宗茂(柳川城主:1569-1642)と共に撃退した。
“慶長の役”の時には、既に家督を譲り隠居していた。1597年に没しています。 |
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光海神社境内に残されている「太閤松の遺木」をここでは取り上げました。
説明立札の「太閤松」をみた時、この地にも豊臣秀吉が立ちより植えたものかなと思ったのですが、説明文(上記)で秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)への出陣に当たって小早川隆景が戦勝祈願として植えたことがわかりました。
松くい虫の被害が広がった時にこの貴重な松も枯れ、伐採されたことは惜しかったな~と思ったのです。 |
17.11.14.裕・記編集 |