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竹原市吉名町宮条に鎮座の光海神社前広場に建立されている「(竹原地方煙草耕作組合)煙草碑」です。 |
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竹原区域の煙草産地は、明治38(1905)年吉名村長・有原豊太郎、先覚者・中楚平四郎などの勧誘で耕作されてきました。その五十周年記念として日本専売公社協賛のもと、元大蔵大臣・池田勇人(1899-1965)題でこの碑を昭和29(1954)年4月竹原地方煙草耕作組合連合会が建立しました。 |
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竹原地方煙草耕作組合連合會長 松阪昭二
各町村煙草耕作組合長(町名の下にその名前が刻まれています)
忠海町、大乗村、東野村、荘野村、賀永村、吉名村、安浦町、安登村、川尻町
田万里村、安藝津町、上蒲刈島村、向村、豊濱村、大崎東野村、中野村、西野村、大崎南村
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1954年3月31日賀茂郡東野村+豊田郡大乗村を竹原町に編入。
1955年3月31日賀茂郡荘野村+豊田郡田万里村=(新)竹原町。
1956年9月30日上蒲刈島村+向村=(安芸郡)蒲刈町⇒2005年3月20日呉市に編入。
1956年9月30日豊田郡吉名村+賀永村(大字仁賀を除く)=竹原町に編入。
1958年11発3日豊田郡竹原町+忠海町=竹原市 |
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光海神社前に建立されている「煙草碑」の碑文を読もうとしましたがあまりにも(わたしが)読めない字が多く全文を紹介で記なかったので碑文の大要(上記)にまとめました。
この碑を取り上げてみようと思ったのは碑裏面をみた時、(わたしは)はじめて接する村の名前があったからなのです。昭和29年にあった村々の変遷を少しでも知ることは広島県民としての務めでもあるのかなと思ったからなのですが。 |
17.11.19.裕・記編集 |