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広島県三原市港町のしまなみ信用金庫横に建立されている「酉門跡」碑です。
※小早川隆景(1533-1597)の四百回忌記念としてかもめ信用金庫が建立しています。 |
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三原城(の最盛期)の構造は、天主台を北(陸側)に頂いた本丸、その東・西・南側に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた梯郭式(ていかくしき)の城だったそうです。 |
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ここで取り上げた西築出がありその門があった処と云うことで(この付近からは当時の残り香はありませんが)酉門跡・碑が建立されたのでしょうね。 |
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昔は、方位にも十二支が使われていました。
子が北、(時計回りに)卯が東、午が南、酉は西になります。 |
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1951(昭和26)年三原信用金庫に改組。
1994(平成6)年11月7日尾道信用金庫を合併、かもめ信用金庫に名称変更。
2003(平成15)年1月14日福鞆信用金庫と合併、しまなみ信用金庫に名称変更。 |
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三原駅から西側の道路に設置されているマンホール蓋を探しながらこの辺りま出来た時に“やっさ踊りデザインのカラーマンホール蓋”をみて撮影しました。その撮影後気が付いたのがこの石柱でした。
ぐるっとみましたが説明板の設置はないようでしたので、西門跡と云わずに酉門跡を使っている事は単に昔の方角を示した用語を使ったのかなと思いましたが、詳しいことはいまのわたしにはわかりません。 |
18.02.15.裕・記編集 |