(久井町羽倉)畜魂碑

  広島県三原市久井町羽倉に建立されている「畜魂碑」です。
一般的には碑銘の横に揮毫者の氏名、(及び建立年月日が)刻まれているのですが、読めませんでした。
碑裏面に碑文が刻まれているようでもありましたがこれも(わたしには)読めませんでした。


三原市久井町江木には、「杭の牛市跡(くいのうしいちあと)」があり、古くからここ久井町は牛や馬が集まり取引がされていました。
『1966(昭和41)年に、広島県史跡に指定された杭の牛市跡は、三原市久井町内の亀甲(きっこう)山一帯に残る牛馬宿、丘の上の伯耆大仙(ほうきだいせん)神社の分霊をまつる大仙神社などを含むものです。
久井町は、かつて備後国杭の庄といい、伯耆(鳥取県)の大仙市、豊後(大分県)浜の市と共に、日本三大市場の一つに数えられたのが杭の市だったそうです。
その理由は、牛馬産地の中国山地を控え、内陸の中心地で、尾道、三原などを通して、関西の消費地につながっており、牛の買い手、売り手共に便利な位置にあったことだそうです。
951(天暦5)年江木室山(亀甲山)にて牛馬の取引始まる。
963(応和3)年頃から、多数の牛馬商人が参集、牛馬の売買が盛んとなり杭牛馬市の基礎が定まった。
1673(寛文13)年杭牛馬市再興(大坂夏の陣により途絶中)
明治時代になってから、市場開催日が一回から三回になり、
昭和の初め頃までは一万数千頭の牛馬が集まり、大変な賑わいでした。
1680(延宝8)年杭牛馬市が広島藩公認となり日本三大牛馬市と称される。
1964(昭和39)年 「久井牛馬市」千年を越える歴史に幕を閉じる
農作業の機械化などの急激な社会情勢の変化により次第に衰退に向かい、千年以上続いた歴史に幕を閉じることになりました。』というような、いまの久井町には歴史があります。
ここで取り上げた蓄魂碑が建立場所から直接的に久井牛馬市につながるものではないようですが、牛馬を生産していたこの辺りの人たちによって建立されたことは間違いないと思います。
先に記述したように建立年、碑文がわたしには読めませんでしたので、縁がある方によって説明板の設置を願うものです。
(旧)御調郡久井町にきた主目的は、「久井町原爆死没者慰霊碑碑」を訪ねることでした。
「久井町原爆死没者慰霊碑碑」を訪ね頭を垂れ撮影して目的を果たし、わが家へ帰宅途中に、ちらっと見えたのがこの碑でした。だいぶ過ぎていましたが運転中の息子に引き返してもらい改めてみたのがこの「蓄魂碑」でした。
漠然とわたしは、この辺りは戦前までは牛馬の生産地だったろうから蓄魂碑が建立されたのだろうと考えていました。
この頁を編集する時、わたしははじめて“杭牛馬市”のことを知りましたので、上に取り上げました。
  18.02.17.裕・記編集

17.12.29.撮影
広島県三原市久井町羽倉1368 JR久井支店西隣地

17.12.29.撮影

17.12.29.撮影

17.12.29.撮影

17.12.29.撮影



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