|
山口県防府市八王子に建立されている「種田山頭火生誕地」です。 |
|
種田山頭火生家跡 平成元(1989)年9月 防府の文化を高める会 |
自由律俳人種田山頭火(本名正一:1882-1940)は、明治15(1882)年12月3日大地主の長男としてこの地(防府市八王子2丁目13)に生れました。早稲田大学を病気のため中退帰郷。のち、市内大道にて父と酒造業を営みました。かたわら、萩原井泉水(1884-1876)に師事し自由律俳句を学びましたが、家業に失敗して妻子を連れて熊本に移りました。大正14(1925)年出家し、熊本県植木町「味取観音堂」の堂守となりましたが飄然と行乞流転の全国行脚の俳人となりました。
「分け入っても分け入っても青い山」 |
|
「うまれた家はあとかたもないほうたる」 |
昭和7(1932)年、七年間の長い漂泊ののち、小郡町に「其中庵」を結び、さらに山口市湯田、松山市と移り住み、昭和15(1940)年10月11日松山市「一草庵」にて没しました。行年59歳でした。
山頭火は、独特の短律俳句を世に残し高い評価を得て、いまやその知名度は全国的です。
「雨ふるふるさとははだしであるく」
「うどん供えて母よわたくしもいただきまする」 |
|
ここ山頭火生誕の地跡は、今回の防府市ぶらり散歩で、訪ねたい所の一つでした。
昔の資料をみると空き地という状態の種田山頭火生誕地跡でしたが、今回訪ねると上屋が設置されここで休憩しながら、山頭火の事を想う場所として整備されていました。
山頭火の句にある‘うまれた家はあとかたもない’確かに家はありませんが?、蛍も飛び交いそうにない?・・・チト雰囲気は違う今だな〜〜とわたしは思いながら撮影しました。観光客を迎える場所としてよく整備されていましたが。 |
11.11.13裕・記編集 |
|
|
11.09.22.撮影 |
|
|
11.09.22.撮影 |
|
11.09.22.撮影 |
|
11.09.22.撮影 |
|
ほ
う
た
る
|
な
い
|
あ
と
か
た
も
|
家
は |
う
ま
れ
た
|
|
*ほうたる=蛍 |
|
1989(平成元年).8. 建立 |
|
|
11.09.22.撮影 |
11.09.22.撮影 |
句碑の後ろをみました |
投句函 |
|
11.09.22.撮影 |
|
|
|