防府天満宮(概説)

  山口県防府市松崎町に鎮座している「防府天満宮」です。
防府(ほうふ)天満宮は、学問の神様、菅原道真公(845-903)を始め、公の祖先である天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)の四柱をお祀りしており、904(延喜4)年創建の日本で最初の天満宮です。
公は、九州の太宰府に下られる途中、船を当地勝間の浦におつけになり暫く滞在になりました。滞在中、酒垂山に登り、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」と誓いになり、家宝の黄金の鮎12尾を国司・土師信貞に託して旅立たれました。
903(延喜3)年公の亡くなった日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。ここに国司は公の御霊がお帰りになられたと、翌(904)年この地の酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。これにより日本で最初の天満宮といわれています。
         防府天満宮本殿ほんでん・幣殿へいでん・拝殿はいでん
員数:1棟 。種別1:宗教。 種別2:建築物。 時代:昭和中。 年代:昭和33(1958)年。
構造及び形式等:木造平屋建、銅板葺、建築面積211u。登録番号:35-0067。
登録告示年月日: 2009(平成21)年1月22日。登録年月日:2009(平成21)年1月8日
解説文: 入母屋造の本殿と拝殿を両下造の幣殿が繋ぐ複合社殿で、南面する。周囲に組高欄付切目縁をまわし、柱は円柱で、大斗肘木を載せ、二軒繁垂木とする。本殿は桁行三間で、内部を1室とし、正背面中央に両開板戸をたてる。繊細優美な意匠になり、近代社殿建築の好例。
1952 (昭和27)年4月24日火災により江戸時代中期再建の本殿・幣殿・拝殿・回廊が焼失しました。
防府市民の寄付金を中心に再建が開始され、建物設計は(山口県出身)京都大学教授村田治郎(1895-1985)博士で氏の指導のもと杉山信三工学博士が設計図を描きました。村田氏は(全体的に装飾が多かった焼失前と異なり)平安時代の様式を取り入れた繊細優美な姿に再建されました。
本殿は1954(昭和29)年、幣殿は1955(昭和30)年、拝殿は1956(昭和31)年にそれぞれ着工し、1958(昭和33)年に完工しました。2009(平成21)年1月8日登録有形文化財(建造物)に指定されています。
社殿は、本殿、幣殿、拝殿からなり、いずれの建物も木造・白木造、屋根は銅板葺です。
本殿入:母屋造、平入、向拝付、桁行三間(7.999m)、梁間二間(4.605m)
幣殿:切妻屋根、妻入、本殿向拝両脇に小室を設ける、桁行四間(8.484m)、梁間三間(7.999m)
拝殿:入母屋造、平入、向拝付、桁行五間(12.241m)、梁間三間(6.363m)
1984年、2003年初詣をした防府天満宮でしたが、参拝客であふれていた境内でしたので撮影もままならまいまま、2003年に頁を編集していましたが、今(2011年9月)回は観光バスが参道根際に1台止まっているだけでしたので、拝殿内部も撮影出来ましたので、この別頁(概説)として編集しました。賽銭箱の先に「登録有形文化財」のプレートが取付けてありましたので今回はじめて撮影しました。
 11.11.24裕・記編集

11.09.22.撮影
山口県防府市松崎町14-1

11.09.22.撮影
石造鳥居

11.09.22.撮影
青銅製鳥居

11.09.22.撮影
楼門

11.09.22.撮影
拝殿

11.09.22.撮影
拝殿から幣殿、本殿をみる

11.09.22.撮影
楼門を拝殿側よりみる

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影
扶桑菅廟最初 奉献 宮司:鈴木健一郎 昭和56(1981)年3月13日建立
ふそう
扶桑
1)古代、中国で日の出る東海の中にあるとされた神木。また、それのある土地。転じて、日本の異称。



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