じんがやま こふん
神花山古墳

  山口県熊毛郡平生町の神花山にある前方後円墳の「神花山古墳」です。
*1982(昭和57)年に山口県指定史跡に指定。
神花山古墳は、(山口県熊毛郡)平生町の田布施川河口東側にある標高 約39mの丘陵(神花山の頂上)に築かれた前方後円墳です。
全長30m、後円部の径15m、高さ約2.5m。 五世紀前半に造られたものと推定されます。
1944(昭和19)年ころ、旧陸軍の高射砲陣地建設のための造成工事により古墳の外形を壊しましたが、古墳の後円部北側の裾付近には葺石(ふきいし)を留めるなど、全体的には原形をうかがうことができます。
古墳内部にあった箱式石棺の中には(ほぼ全身の人骨が納められており、当時は壮年男性のものと考えられていた(が後年壮年女性と推定される*)人骨一体が埋葬されていました。
しかし敗戦後の混乱により、現在は頭骨だけが保存されています。
山口県下の前方後円墳の大半は瀬戸内海沿岸地方に分布していますが、殊に熊毛地域には茶臼山古墳・白鳥古墳・阿多田古墳・神花山古墳などがよく残っています。これらは相継いで造られたと考えられ、この神花山古墳は当地域の首長墓の変遷をたどる上で欠くことのできない貴重な資料となっています。
1987(昭和62)年長崎大学医学部の松下孝幸教授の鑑定により、20代半ばの女性の頭骨と判明したそうです。
「古代女王の像」について設置の説明板には次のように紹介しています。
『神花山古墳の女性被葬者は他所からの移住ではなく、本来この地域に居住していた豪族の女性首長と考えられます。この女性首長は当時、長い髪を板状に束ねた「太古島田」をゆい(梅光女学院大学木下尚子講師の考察によると)管玉と勾玉をつないだ首飾りや、耳環(耳飾り)をつけていたと思われます。
また、魚介類を主食としていたとみられ、頬や顎がしっかりしていて、鼻が高く、目鼻立ちがすっくりとし、鼻根部の形態や上顔部のプロポーションから判断して、比較的整った顔貌の持ち主だったと思われます。』
『葬られた豪族は、当時旧熊毛郡や玖珂郡の一部に君臨した周防国造(すはのくにのみやつこ)と称する大豪族か、あるいわそれに関連の豪族であったとみられますが、この神花山古墳は周防地域の古代を考えるうえで貴重な遺跡ゆえに1982(昭和57)年に山口県指定史跡に指定されました。』と説明板にあります。
周防国造に関するNET上での情報には、
『周防国造とは周防(周芳)国(現・山口県東部)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇(15代)の時代に茨城国造と同祖である加米乃意美(かめのおみ)を国造に定めたことに始まるとされます。周防国の国府は光市小周防にあったと云われ、下中郷の周防小学校の脇には周防国造在所之地碑が建ち、その周辺が大化の改新以前の国造の在所と見られています。改新後、大和政権から凡直(おおしのあたい)の姓を受け、周防凡氏・周防氏は長らく有力氏族として栄えたといわれています。柳井市向山にある茶臼山古墳は周防国造の墳墓と推定されています。』
とありましたが、説明板の解説にあるこの神花山古墳とにつながるのかなと思いましたが、わたしにはよくわかりません。
今(2017年)回、人間魚雷「回天」資料の展示がある阿多田交流館を見学したのです。その時この神花古墳の模型資料の展示もありました。
田名埠頭根際の「(平生)回天碑」で頭を垂れた後、碑を撮影しました。その後、(以前見学したことがあるという)女房にあそこから神花山古墳に行く道があると教わり上って見学することにしたのです。
遊歩道が整備され腰痛もちのわたしでも息は切らしてもそれなりに楽に上り見学できました。いろいろな説明板が設置されており、内容の重複も見られましたので(上記のように)わたしが解釈した文章にしました。
帰りは、旧遊歩道と思われる急な近道で降りることにした時「古代女王アルミ製像」の後ろ姿をみて、上るときには気付かなかったな~と撮影しました。
この神花山古墳が前方後円墳である全体像は、説明板の図面でしかわかりませんでしたので、阿多田交流館でいただいたパンフレットに(上掲載の)画像がありましたので、よくわかるその画像を使用させていただきました。
 1703.28.裕・記編集

17.03.19..撮影
山口県熊毛郡平生町大字佐賀1199-1   (住所的には:字田名沖の神花山かな)

17.03.19..撮影
神花山頂上部の古墳への案内板 (右側:設置のトイレ綺麗に維持されていました)

17.03.19..撮影
(設置の説明板の処から前方部分をみあげました)

17.03.19..撮影
(設置の説明板の処から後円墳部分をみあげました)

17.03.19..撮影
(現場では一目見てもわからないが、説明板の図面で前方後円墳だと)

17.03.19..撮影
(遊歩道から円墳へ上る道が整備されています)

17.03.19..撮影
(一部復元された葺石と土器群)

17.03.19..撮影

17.03.19..撮影
(復元された部分)

17.03.19..撮影
(後円墳ということがわかるかなと撮影しました)

17.03.19..撮影
この石棺は複製。(本物はこの下に当時のままの状態で保存されています)
石棺:内寸法で、長さ≒160cm、最大幅≒50cm、高さ≒30cm。石棺内部には(神聖な色)朱が塗ってありました。

17.03.19..撮影
 
17.03.19..撮影
出土した人骨 (人骨から)復元した女王像

17.03.19..撮影
(後円墳から前方墳部分をみました)

17.03.19..撮影
(人骨をモデルにした)古代女王アルミ製像(高さ約10m)、ふるさと創生事業で建立されたようです

17.03.19..撮影

17.03.19..撮影
(まず、後ろ向きの姿をみました) 長い髪を板状に束ねた「太古島田」
 国土地理院・地図閲覧サービスの地図を使用しています




「山口ぶらり散歩」



(広島ぶらり散歩)
南周防大橋
阿多田交流館(回天資料展示)
(平生)回天碑
神花山古墳


inserted by FC2 system