(光市)旧伊藤博文邸

  山口県光市束荷(つかり)に建築されている「旧伊藤博文邸(通称・伊藤公記念館)」です。
*2004(平成16)年2月大規模な補修工事が施されたそうです。
*内部の見学も無料です。
旧伊藤博文邸    山口県有形文化財(建造物)   平成5(1993)年1月12日指定
伊藤博文(1841-1909)が遠祖・林淡路守通起の300年祭に当たり、「家屋」を建築し、「その家屋は、将来、図書館用に供するが如きものとなすべし。」と命じた(公爵邸建築委員 林三樹介の「伊藤公爵邸建設始終之記」)のが建築の契機です。
明治42(1909)年3月1日に工事が始り、10月23日に家屋の上棟式を行いましたが、10月26日にロシア(当時)のハルピンにて伊藤博文死去。明治43(1910)年5月に落成。11月13日には遺族が300年祭を執行しました。
工事は伊藤自身の設計に基づき、沖田某・原田猪作(経歴未詳)がその任に当たったといわれ、当時の県知事渡辺融(1844-1924)と百十銀行頭取室田義文(1847-1938)が監督し、下関清水組(現・清水建設株式会社下関営業所)が請け負った。総工費は21,291円38銭。
建物構成は、当初「洋館二階建の本館の外之れに接続せる部屋、炊事場、土蔵其他物置、湯殿等あり」(「伊藤神社落成記念」、「藤公余影」の掲載写真「柳の伊藤公爵邸」「同側面及土蔵」)とされていますが、現状では「接続せる」以下の部分が解体撤去(昭和54年8月)されています。
全体的には洋風建築ですが、2階西面に8畳・6畳の和室とその西・南側に廊下、北面に和式便所を設ける等、2階全体の西側半文程を和風としています。
また、周辺部について「面積合計4,000坪(平地1,000百坪、山2,300百坪)の一大邸宅を造り、二方は山、二方は繞らすに花崗岩の石垣を以てし、美麗なる洋館有り。堅個なる土蔵有り、庭園有り、運動場有り、遠望台有るもの即ち是れ柳(地名)の伊藤公爵邸なり。」と形容されていなす。(「藤公余影」)

その後、明治45(1912)年に山口県が伊藤家から寄贈を受け管理していました。
昭和27(1952)年当時の大和村が無償で払下げを受け、遺品などを展示する施設として一般公開をしていました。
平成14(2002)年7月から大和町が保存修理工事を着工、軸組等の部分修理や屋根の葺き替え、車寄せの部分を建築当時の姿に復し、平成16(2004)年2月に竣工しました。
1943(昭和18)年11月3日熊毛郡岩田村+三輪村+塩田村+束荷村=大和(やまと)村。
1971(昭和46)年1月15日大和村が町制施行して大和町。
2004(平成16)年10月4日光市と合併し、改めて光市が発足。大和町廃止。
*1 [構造形式]
身舎(もや≒家人が日常起居する建物)桁行14.6m、梁間9.1m、総高(棟までの高さ)12.4m。
正面ポーチ(吹き放し玄関)1間×1間。地表から棟までの高さ4.9m。
1)基礎:雨葛切石(花崗岩)1段。周囲雨落溝付き(背面一部なし)。
     切石花崗岩2段積み布基礎(背面中央約4間モルタル被覆)。
2)軸部:木造モルタル吹き付け(クリーム色)、大壁造。
3)屋根:寄棟造、桟瓦葺。正面中央2間は前間全面に張り出し千鳥破風状切妻造、棟両端鬼瓦。
     棟は熨斗瓦3枚、紐付き丸瓦、両端上に宝珠型円筒を飾る。
     降棟は熨斗瓦3枚、紐付き丸瓦、鬼瓦付き。軒平瓦は文様なし。
     正面切妻造は熨斗瓦3枚、紐付き丸瓦、前先端に宝珠型円筒を飾る。
     西北下屋瓦棒鉄板葺。西側窓庇と東側出入口庇は鉄板葺。
*資料は山口県教育庁社会教育・文化財課の公開資料などを参照しました。
伊藤博文(いとうひろぶみ:1841-1909)
政治家。周防国熊毛郡束荷村字野尻生まれ。百姓・林十蔵の長男。父が武家奉公人・水井武兵衛の養子を経て、足軽・伊藤弥右衛門の養子となり伊藤姓となる。
来原良蔵(1829-1862)の紹介で吉田松陰(1830-1859)に学び、倒幕運動に参加。のち明治憲法立案に当たる。1885(明治18)年内閣制度を創設、初代総理大臣となった。枢密院・貴族院の初代議長を歴任。のち、立憲政友会を組織し、総裁に就任。日露戦争後、初代韓国統監となったが、ハルビンで朝鮮独立運動家安重根(アン・ジュングン:1879-1910)に1909(明治42)年10月26日暗殺された。
今(2017年)回、熊毛郡平生町の人間魚雷「回天」の資料などが展示されている阿多田交流館などを見学した後、高速自動車道・山陽道に乗ろうとして向かって行った時に、旧伊藤博文邸があるという標識をみたと運転中の息子が云ったので立ち寄ってみるかと少し引き返し見学したのがこの旧伊藤博文邸でした。
伊藤博文が、山口(長州)人であることは義務教育を受けた者として知っていましたが、ここ(現在の光市、旧熊毛郡大和町、それ以前の束荷村)の出身だったことは知らなかったのでたいそう勉強になった見学でした。
「伊藤」姓が父親の養子から伊藤姓になったこともここを見学しなければ知らぬままだったろうな~と思ったことも恥ずかしながらここに記述しました。
 18.03.05.裕・記編集

17.03.19..撮影
山口県光市束荷2250-1

17.03.19..撮影

17.03.19..撮影
中央内開き腰板ガラス戸(外側に鉄の飾り付き)

17.03.19..撮影
洋室

17.03.19..撮影
床面:絨毯敷き、巾木付き、天井・壁はクロス貼、廻縁付き、天井中央に丸い花紋の浮き彫り(2箇)飾り。

17.03.19..撮影
(洋館ですが二階西側に八畳と六畳の和室を配しています)

17.03.19..撮影
2004(平成16)年3月建立の伊藤博文立像と旧伊藤博文邸

17.03.19..撮影



「山口ぶらり散歩」



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