回天訓練基地跡

  山口県周南市大津島馬島に残っている「回天訓練基地跡」です。
※もともとは、九三式酸素魚雷の発射試験場として造られました。
回天訓練基地跡        (説明版には回天発射場跡☆と記述しています)
人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期、戦局の劣勢を挽回しようと空からの“神風特別攻撃隊”とほぼ同じ時期に戦場に登場しました。
この発射場は、93式魚雷試験発射のためのもので昭和12(1937)年※に開設されました。それ以前の試験発射は呉市大入(だいにゅう)の発射場で行っていましたが、大遠距離射線を備えたこの発射場が完成し、以後ここから発射しました。
昭和19(1944)年9月1日、この地に回天基地が開設され回天の操縦訓練が開始されました。回天の訓練は、ここから発射場☆横の海面に運ばれ、熟練度に従って直線往復、島の半周、一周、停泊艦襲撃、航行艦襲撃等と搭乗員は猛訓練に明け暮れたのです。その訓練は敗戦の日・昭和20(1945)年8月15日まで続けられました。
回天訓練基地跡 (説明版には回天発射訓練基地跡☆と記述しています)   周南市都市整備課
  この回天発射訓練基地跡☆は、昭和14(1939)年※に建設された「九三式酸素魚雷」の発射試験場を人間魚雷回天の発射訓練☆に活用したものです。「九三式酸素魚雷」は、昭和8(1933)年〔皇紀2593年〕に製作されたもので、長さ8.5m、直径61cmで、速力50ノット(≒90km/h)で、世界で最も優れた(魚雷)兵器のひとつでした。
この魚雷の発射試験は、魚雷を調整工場(現・大津島小学校地)からトロッコに乗せて、隧道(トンネル)を通って、ケーソン(鉄やコンクリート製の箱)で構築された発射台まで運び、天井クレーンで台の穴から海面に降ろして行われました。
昭和19(1943)年9月5日からこの施設を利用して回天の発射訓練☆に使用することになりましたが「九三式酸素魚雷」を改良して人が乗れるようにした回天は、長さ14.75m、直径1mあり従来の穴から降ろせないので、別に起重機(クレーン)を設置して、突堤から海面に降ろしていました。
ここを起点として発射訓練☆が行われ、馬島回りのコースや大津島回りのコースなどがありました。
隧道は当時のもので、長さ247m、入口の幅3.5m、高さ4mで、中央部の複線で広くなっているところには、当時を回想する7枚のパネル写真が展示されています。
現地に設置の2つの説明版で、開設年が違っていますが、次のようなことです。
この回天訓練基地の前身は、1937(昭和12)年に開設された呉海軍工廠の魚雷発射試験施設で、当時日本海軍が世界に誇った高性能魚雷・九三式酸素魚雷の試験が行われていました。現在残っている遺跡の中の一つであるコンクリート造の構造物は1939(昭和14)年に魚雷発射場として建設され、総工費は83万円(当時金額)といわれているそうです。
現在大津島小学校のグラウンの場所は当時調整工場や兵舎があり兵舎東側にあった(出撃)桟橋から、出撃隊員は内火艇(うちびてい≒海軍陸戦隊の水陸両用戦車)に乗り、沖合に待機する「回天」を搭載した潜水艦に乗り移って戦地に向かったそうです。
現地に設置の説明版「回天発射場跡」、周南市が設置している説明版「回天発射訓練基地跡」のいいずれにも「回天発射」と記述してありますが、
周南市大津島支所R主査のお話では『人間の搭乗する回天を「発射」するとの表現は適切でないとの意見もあり、現在コンクリート建造物については「発射」の文言を削除するよう、修正を進めております。』ということを伺いましたので、わたしが編集している頁も回天に関しては“回天発射訓練基地”という表現はさけるように「回天訓練基地」という表現で編集していこうと思っています。
周南市設置の説明版にトンネル(隋道)という誤字(正式には隧道)がありましたので、説明版の誤字の話をしていたときに回天発射という表現は改めようとしているという上記のことを伺いました。
魚雷発射場は、2008(平成18)年土木学会“土木遺産”として認定されています。その資料によると、
基礎のケーソンは、当時の内務省大分築港事務所で製作されました。
1938(昭和13)年10月23日〜翌(昭和14)年10月24日まで、8個のケーソンが一つずつ、大分築港事務所から大津島まで要した時間は(気象条件もありましたが)各回およそ30時間程度だったそうです。なお、トンネル出口から魚雷発射場に至る通路の基礎にも5個のケーソンが用いられています。これらは現地で製作されたものです。
魚雷発射場は、形式:鉄筋コンクリート造2階建。規模:訓練基地部ケーソン:重量700t、幅7.5m、長さ12.0m、高さ10.0m、喫水(きっすい≒水面下に沈んでいる部分の深さ)7.5m。
通路部分は、ケーソン:重量72t、幅4.0m、長さ5.0m、高さ5.2m、喫水4.5m。
この魚雷発射場は、1944(昭和19)年9月1日に回天訓練基地となりました。
回天訓練基地跡を見学しながら、命を懸けて青年期で亡くなっていった若者たちを思い、いわゆる老人といわれる歳をむえているわたしは、青年期から過ごしてきたいままでの時間はもう戻りはしませんが、これから自由に使える時間をどう使うかを考えなければと思ったのですが。
13.07.17.裕・記編集

13.05.06.撮影
山口県周南市大津島馬島

13.05.06.撮影
隧道から出た処からみました

13.05.06.撮影

13.05.06.撮影

13.05.06.撮影

13.05.06.撮影

13.05.06.撮影

13.05.06.撮影

13.05.06.撮影



「(周南市)大津島」編



何処に行ってもぶらり散歩
回天訓練基地への隧道
 (隧道内展示の)回天関連パネル
回天訓練基地跡


「山口県ぶらり散歩」編


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