とうけいじんじゃ
鬪雞神社
  和歌山県田辺市東陽に鎮座している「鬪雞神社(闘鶏神社)」です。
※2016(平成28)年10月に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。
鬪雞神社の社殿は6棟あり、それぞれの神を祀っています。
本殿 - 祭神:伊邪那美命
西殿 - 祭神:速玉之男命、事解之男神
上殿 - 祭神:伊邪那岐命、天照皇大神、宇賀御魂命
中殿 - 祭神:瓊々杵尊命、鵜草葺不合命、火々出見尊、天之忍穂耳命
下殿 - 祭神:火産霊命、弥都波能売命、稚産霊命、埴山比売命
八百萬殿 - 祭神:手力男命、八百万神
由来:
社伝によると允恭天皇8(424)年9月、熊野坐神社より勧請。
又、白河法皇(1053-1129)の頃、熊野路に強盗多く行幸を悩ますため、熊野三所権現をこの地に勧請し、三山参詣に替えたという伝承があります。
紀伊続風土記には「熊野別当湛快のとき、熊野三所権現を勧請し、新熊野と称す」とあります。
平家物語や源平盛衰記によると、元暦元(1184)年源平合戦の時、熊野水軍が紅白の鶏合せにより源氏に味方をした故事〔神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるもの〕により、合権現の呼称が生れ、明治維新まで新熊野合権現と称し、後、鬪鶏神社と改称されました。
明治4(1871)年郷社(田辺県)、同6(1873)年村社(和歌山県)、同14(1881)年県社に昇格。昭和46(1971)年7月別表神社となりました。
♪♪ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船・・・・と歌う串本節、昔から頭の片隅に残りいつかは訪ねてみたいなとは思っていましたが、南紀を訪ねたことはありませんでした。
20年以上前に和歌山市・和歌山城を訪ねたことはありましたが、それ以南は未踏の地でした。
2019年ツアーに申し込んだのです。新大阪駅までは新幹線で、それ以後は専用バスでの南紀の見どころを案内してもらったのです。
その最初が、ここで取り上げた、闘鶏神社でしたが、武蔵坊弁慶にも関わり、世界遺産に登録された神社であることは全く知らなかったのです。
20.03.24.裕・記編集

19.09.29.撮影
和歌山県田辺市東陽1-1

19.09.29.撮影

19.09.29.撮影

19.09.29.撮影
拝殿(入母屋造 50,5㎡)

19.09.29.撮影
拝殿から本殿の方をみました

19.09.29.撮影
(見えませんが手前側に西殿) 拝殿の後ろに本殿

19.09.29.撮影
(拝殿)

19.09.29.撮影
  上殿(上四柱)
若宮 天照皇大神
  本地佛 十一面観音
この世を照らし全てを活かす太陽神
  伊邪那岐命(相殿)
伊邪那美命と夫婦で、黄泉国の穢れ禊をした時生まれた神が天照皇大神・素戔鳴命・月読命の三貴神
  宇賀御魂命(相殿)
※上殿
江戸前期 明暦4(1658)頃 桁行二間、梁間一間、一重、隅木入春日造、檜皮葺
※中殿、下殿
江戸中期 延享5(1748) 四間社流造、銅板葺
※八百萬殿
江戸中期 延享5(1748) 一間社、隅木入春日造、銅板葺

19.09.29.撮影
(上殿、中殿、下殿、八百萬殿)

19.09.29.撮影

19.09.29.撮影

19.09.29.撮影
境内社:藤巖神社       社務所



「和歌山県(南紀関連)」編



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