(塩田王)旧野崎家住宅
  倉敷市児島地区の「(国指定重要文化財)旧野崎家住宅」です。
*江戸後期に製塩業で財を成した大庄屋の屋敷でした。現在は博物館としても登録されています。
(国指定重要文化財)旧野崎家住宅  (岡山県指定史跡)野崎家旧宅
野﨑家は、製塩業と新田開発で財を成した野﨑武左衛門がその気宇に合わせて天保から嘉永年間に次々と築いていった民家です。
敷地面積約3000坪・建物延床面積約1000坪あります。
武左衛門は、文政10(1827)年から文久3(1863)年にかけて野崎浜(現在の児島駅付近)、日比亀浜、東野埼浜、久々井浜など終生161ヘクタールの入浜式塩田を開発しました。
その間、岡山藩の命によって、福田新田652haの大干拓事業も完成させました。その謹功により、嘉永6(1853)年に大庄屋に取り立てられました。
武左衛門の全盛期に次々とたてられた建物は、創建当時の建築技術の粋を凝らしたもので、独特な平面の主屋、意匠に優れた表書院など庭園と共に創建のままこんにちに保存されている民家は稀であり、山陽道の代表的民家と言えるでしょう。
昭和52(1977)年4月8日に岡山県指定史跡となり、平成7(1995)年に博物館登録、平成18(2006)12月19日年に国の重要文化財(建造物)に指定されました。
2015年訪ねた(岡山県)倉敷市児島地区だったのです。
主目的は児島競艇場に行くことでしたが、ここ(塩田王と称された)野崎美左衛門の屋敷をみることも目的のひとつにしていました。
江戸時代広島藩は、“三白”といって、綿、塩、紙を産業の芯に据えていたそうで、塩も重要な産業だったのです。(現在の)竹原市や品質は劣っていたそうですが(現在の)広島市内でも製塩をしていたことで、ここ児島で製塩によって財を成したという野崎武左衛門にも興味を持ったのです。
旧野崎家住宅を見学して撮影していましたが、どういう頁で編集するかで迷い、2015年には編集完とできず、2016年のいまになりましたが、地元の人間でないわたしですので、素直に見学した順で編集することにしたのがこの頁です。
16.10.16.裕・記編集

15.05.05.撮影
(旧野崎住宅に設置されていた配置図を撮影し使っています)

15.05.05.撮影
岡山県倉敷市児島味野1-11-19
 〔現在入口になっています〕    長屋門(ながやもん)
近世、上級武士の屋敷の門形式のひとつ。
使用人や家臣の居所としての長屋を左右に備えた門。
名字帯刀を許された民家の門形式にもみられ、門脇の部屋は下僕の居所や物置とされました。

15.05.05.撮影

15.05.05.撮影
(長屋門を裏側からみました)

15.05.05.撮影
(内玄関をみました)

15.05.05.撮影
(表玄関をみました)

15.05.05.撮影
(表書院〔上の間〕をみました)
水琴窟(すいきんくつ)
「手水鉢」下深く底を穿った甕(かめ)を伏せ込み滴り落ちた水が甕に反響して妙なる琴の音に聞こえます。
水琴の残響に耳を傾け心落ち着くひとときをお過ごしください。

15.05.05.撮影

15.05.05.撮影

15.05.05.撮影
(中座敷をみました)

15.05.05.撮影
(表書院裏側をみました)
茶室  臨池亭(りんちてい)   台目三畳

15.05.05.撮影

15.05.05.撮影
台所 

15.05.05.撮影

15.05.05.撮影
台所内部をみました
溜石(ためいし)
 塩を煮つめるのに使用した石炭の重量を図るため、船に積んで印(吃水線)を付けるのに使った石(分銅石)です。1個16貫(≒60kg)

15.05.05.撮影
展示館で見た塩田の道具類 

15.05.05.撮影
 
あてこ かん水(鹹水=濃い塩水)溜め 
かん水汲込杓 はなえたご
潮まわりから海水をくみ、かついで 沼井の中へくみ込むもの。

15.05.05.撮影
大蔵(現在・展示館)、書類蔵、新蔵、岡蔵、(現在・展示館)

15.05.05.撮影
向屋敷、内蔵、大蔵、書類蔵、新蔵、(かすかにみえる)岡蔵



「倉敷市児島地区」


「岡山県」編



(広島ぶらり散歩)
旧野崎家住宅
野崎の記念碑


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