|
東京都中央区日本橋と日本橋室町を結び日本橋川に架かる「日本橋」です。 |
国指定重要文化財 日本橋 所在地:中央区日本橋一丁目・日本橋室町一丁目 |
2000(平成12)年3月 中央区教育委員会 |
日本橋がはじめて架けられたのは徳川家康(1542-1616)が幕府を開いた1603(慶長8)年と伝えられています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する点として江戸経済の中心となっていました。橋詰には高札場があり、魚河岸があったことでも有名です。
幕末の様子は、安藤広重(1797-1858)の錦絵でも知られています。
現在の日本橋は東京市により、石造二連アーチの道路橋として1911(明治44)年に完成しました。橋銘は第十五代将軍徳川慶喜(1837-1913)の筆によるもので、青銅の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表しています。 |
|
橋の中央にある日本国道元標は、1967(昭和42)年に都電の廃止に伴い道路整備が行われたのを契機に、1972(昭和47)年に柱からプレートに変更されました。プレートの文字は当時の総理大臣佐藤栄作(1901-1975)の筆によるものです。
1998(平成10)年に照明灯装飾品の修復が行われ、1999(平成11)年5月には国の重要文化財に指定されました。装飾品の旧部品の一部は中央区が寄贈を受け、大切に保管しています。 |
|
日本橋ハ江戸名所ノ随一ニシテ其名四方ニ高シ慶長八(1603)年幕府譜大名ニ課シテ城東ノ海濱ヲ埋メ市街ヲ營ミ海道ヲ通シ始テ本橋ヲ架ス人呼ンデ日本橋ト稱シ遂ニ橋名ト為ル翌年諸海道ニ一里塚ヲ築クヤ實ニ本橋ヲ以テ起點ト為ス當時既ニ江戸繁華ノ中心タリシコト推知ス可ク橋畔ニ高札場等ヲ置ク亦所以ナキニアラス舊記ヲ按スルニ元和四(1618)年改架ノ本橋ハ長三十七間餘幅四間餘ニシテ其後改架凡ソ十九回ニ及ヘリト云フ徳川盛時ニ於ケル本橋附近ハ富買豪商甍ヲ連ネ魚市アリ酒庫アリ雜鬧沸クカ如ク橋上貴賎ノ來往晝夜絶エス富獄遥ニ秀麗ヲ天際ニ誇リ日帆近ク碧波ト映帶ス眞ニ上圖ノ如シ |
|
明治聖代ニ至リ百般ノ文物日々新ナルニ伴ヒ本橋亦明治四十四(1911)年三月新装成リ今日ニ至ル茲ニ橋畔ニ碑ヲ建テ由来ヲ刻シ以テ後世ニ傳フ |
|
日本国重要文化財 日本橋
構造、形式
石造二連アーチ橋 高欄付(青銅製照明灯を含む)
附 東京市道路元標 一基
所有者
国(建設省)
指定年月日
平成11(1999)年5月13日 指定(建 第2362号) |
|
指定の意義
明治期を代表する石造アーチ道路橋であり、石造アーチ橋の技術的達成度を示す遺構として貴重である
また、土木家、彫刻家が協同した装飾橋架の代表作であり ルネッサンス式による橋梁本体と
和漢洋折衷の装飾との調和も破綻なくまとめられており、意匠的完成度も高い
建設省国道に係る物件で初めての重要文化財指定 |
|
1911(明治44)年4月3日竣成で、米軍の東京空襲にも残った現在の日本橋は十九代目にあたるそうです。
石造二連アーチ橋。橋長:49m、幅:27m、設計者:(技師工学士)米本晋一 |
今(2013年)回、おいの結婚式に出席のために久しぶりに東京に出てきました。
夜行バスでしたので東京駅日本橋口に朝着く事になっていたので、(結婚式にはチト早いので)近くの日本橋をみて、日本橋に設置されている日本国道路元標をみようと計画したのです。 |
橋名板をみる前「にほんはし」であろうと思っていましたが、みると、“は”ではなく‘む’の点なしのように見えました。
帰宅してから調べていると変体仮名(異体仮名)というものがあることを知り、Wikipediaでみると“は”は者を崩したものだと云うことがわかりましたが、どうみても‘は’とは読めないな〜思っています。 |
13.10.11.裕・記編集 |