神田神社(江戸総鎮守・神田明神)

  東京都千代田区外神田に鎮座している「神田神社(通称・神田明神)」です。
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、平将門命
由緒:社伝によると、730(天平2)年出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現在・千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱(931-947)で940(天慶3)年敗死した平将門を葬ったその墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門の祟りとして恐れられたため、時宗の遊行僧・真教上人(1289-1319)が霊を慰め、さらに1309(延慶2)年に相殿神として祀られました。
1616(元和2)年江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座、幕府により社殿が造営されました。以後江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として尊崇されました。
1868(明治元)年准勅祭社に指定され、のち、府社に列せられ、1872(明治5)年正式の社号が「神田神社」に改められました。
1874(明治7)年9月19日明治天皇(1852-1912)が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門が祭神から外され*、代わりに少彦名命が大洗磯前神社から勧請され、平将門神霊は境内摂社に遷されましたが、1984(昭和59)年になって本社祭神に復帰しました。
現在は神社本庁の別表神社となっています。
1874(明治7)年、明治天皇(1852-1912)が神田明神に参詣されることになったことに抗議したのが、時の明治(薩長)政府〔太政大臣三条実美(1837-1891)、内務卿大久保利通(1830-1878)、文部卿 木戸孝允(1833-1877)など〕で、1874(明治7)年2月8日に「神田明神社の 霊神は平将門であるが、将門は大逆無道の賊神で、一時里人異霊を恐れ堂内に 安置するも今日文明の時にして此の如き逆祀あるべからず、条理明哲にして処 分するは教部の任なり・・・」という論調で天皇の行幸に反対したそうです。そのような事で神田明神社か主祭神から平将門命を降ろし摂社の祭神と し、かわって常陸大洗磯前(いそさき)神社の、少彦名命の分霊を迎えて、大己貴命とともに二宮を祀る事になりました。
戦後になりましたが、再び平将門命が祭神として迎えられ三宮を祀る事になりました。
平将門 (たいらのまさかど:?-940)
平安中期の武将。高望(たかもち)の孫。
下総国を本拠として土着豪族の伝統的勢力を継承、伯父・国香(?-935)を殺し、関東の最強豪族となった。下総猿島(さしま)に王城を営み、文武百官を置いて新皇と称したが、天慶の乱(931-947)で結果的に朝廷への叛乱とみなされ、平貞盛(?-989)・藤原秀郷(ひでさと:?-?)に攻められて敗死。
ちょくさいしゃ
勅祭社
天皇が例祭などに勅使を派遣し、奉幣を行った神社。
古くは22社、明治時代には29社ありましたが、
現在は、賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、石清水八幡宮、春日大社、熱田神宮、出雲大社、氷川神社、鹿島神宮、香取神宮、橿原神宮、近江神宮、平安神宮、明治神宮、靖国神社、香椎宮、宇佐神宮の16社となっています。
今(2013年)回の東京に出て行った主目的がここ神田明神で甥が結婚式をとり行うという事で、そのお祝いを述べその場を共にし祝うことでした。
社殿内でとり行われる神前結婚式は撮影禁止だと云われていましたので、その画像はありませんが、式の後、近くのホテルで行われた披露宴までの短い時間でしたが、(わたしは)はじめて参拝した神田明神(祝詞の中にもあった正式名称が神田神社と云う事も知らなかったわたしですが)を少しばかり撮影しましたので神田明神関連の頁を編集しました。
神田神社のweb saiteにはわたしが解説をするのがはばかれるほど詳細の説明文がありましたので、なるべくダブらないようにと思いましたがその解説を参照せざるをえませんでした。
13.10.17.裕・記編集

13.09.14.撮影
東京都千代田区外神田2-16-2

13.09.14.撮影
随神門:1975(昭和50)年再建

13.09.14.撮影

13.09.14.撮影
櫛磐間戸神(くしいわまどの かみ) 豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)

13.09.14.撮影

13.09.14.撮影
社殿:1934(昭和9)年竣工、権現造、鉄筋鉄骨コンクリート造。国登録有形文化財2003年9月登録

13.09.14.撮影

13.09.14.撮影
雅楽の音色に導かれ神前式場(社殿)へ



「東京ぶらり散歩」編


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神田明神(正式名称:神田神社
(神田明神)明治天皇御臨幸記念碑
(神田明神)石獅子
(神田明神)さざれ石、公孫樹


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