(神田明神)さざれ石

  東京都千代田区外神田の神田明神に展示されている「さざれ石」です。
※また、「明神男坂・大公孫樹の遺木」もこの頁で取り上げました。
                さざれ石
国歌君が代に詠われている。永久の団結と繁栄の象徴。
名峰伊吹山山麓産出 さざれ石美濃坂謹撰  平成24年11月吉日
奉納:(株)J・ART産業 (創業:昭和60年9月、さかい珈琲直営店運営等)
さざれ石(細石)は、小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化したもので、「石灰質角礫岩」のことです。
石灰岩が雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝結して固まってできています。日本では滋賀県・岐阜県境の伊吹山が主要産地です。
さざれ石を見に行った時根際に説明板がある事に気が付きました。それが明神男坂 大公孫樹の説明板でした。
明神男坂 大公孫樹(おおいちょう)
この公孫樹は、江戸の昔よりこの地に育ちました由緒ある樹木です。
1923(大正12)年9月1日関東大震災により社殿をはじめ神社の諸施設が悉く炎上し崩壊したなか、その焼跡に唯一残されたのがこの公孫樹でした。
震災で焼け残った公孫樹からひこばえが生え育ち、その後1945(昭和20)年米軍による東京大空襲による油脂焼夷弾が東京一帯を襲いましたが、1934(昭和9)年建立の鉄骨鉄筋コンクリート造の社殿は当時としては日本初の耐火耐震構造を持つ神社建築であったため焼失を免れました。
その一方、ひこばえは被災の憂き目にあったにもかかわらず立派な樹木となり親木のほうは枯木につき上部を伐採し保存することにしました。
江戸時代、月見の名所に植えられた公孫樹は、大正・昭和の災害にも遭遇しながら子孫を残し、この地の歴史を伝えてきた大切な御神木と云えます。
広島の神社で奉納された「さざれ石」をみてから山口長府の乃木神社で、京都の北野天満宮でみてきましたので、ここ神田明神でも目にしました(最近奉納されたものでしたが)ので頁を編集するかと撮影しました。
さざれ石に近づいた時、根際にまだまだ大イチョウとは云い難いイチョウの木についての説明板にも目が行きましたので、さざれ石から少し引いてイチョウ全体が写るようにと撮影し、この頁で取り上げました。
13.10.21.裕・記編集

13.09.14.撮影
東京都千代田区外神田2-16-2  神田神社・神田明神会館前

13.09.14.撮影
さざれ石 と ひこばえの公孫樹(根際に枯れた親木の下部分が腐らない様に陣笠を被って残されています)

13.09.14.撮影

13.09.14.撮影



「東京ぶらり散歩」編



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神田明神正式名称:神田神社)
(神田明神)明治天皇御臨幸記念碑
(神田明神)石獅子
(神田明神)さざれ石、公孫樹


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