(靖国神社)パール博士顕彰碑

  東京都千代田区九段北の靖国神社遊就館前に建立されている「パール博士顕彰碑」です。
頌*        平成17(2005)年6月25日      國神社宮司 南部利昭(1935-2009)
ラダ・ビノード・パール博士は、昭和21(1946)年5月東京に開設された「極東国際軍事裁判所」法廷のインド代表判事として着任され、昭和23(1948)年11月の結審・判決に至るまで、他事一切を顧みる事なく専心この裁判に関する厖大な史料の調査と分析に没頭されました。
博士はこの裁判を擔當した連合國十一箇國の裁判官の中で唯一人の國際法専門の判事であると同時に、法の正義を守らんとの熱烈な使命感と、高度の文明史的見識の持ち主でありました。
博士はこの通稱「東京裁判」が勝利に傲る連合國の、今や無力となった敗戦國日本に對する野蠻な復讐の儀式に過ぎないことを看破し、事實誤認に滿ちた連合國の訴追には法的根據が全く欠けてゐることを論証し、被告團に對し全員無罪と判決する浩瀚な意見書を公けにされたのであります。
その意見書の結語にある如く、大多數連合國の復讐熱と史的偏見が漸く収まりつつある現在、博士の裁定は今や文明世界の國際法學会に於ける定説と認められたのです。
私共は茲に法の正義と歴史の道理とを守り抜いたパール博士の勇氣と情熱を顕彰し、その言葉を日本國民に向けられた貴重な遺訓として銘記するためにこの碑を建立し、博士の偉業を千古に傳へんとするものであります。
(しょう)
 頌:
1)人の徳や物の美などをほめたたえること。また、ほめたたえた言葉や詩文。
2)「詩経」の六義(りくぎ)の一。宗廟(そうびょう)で、祖先の徳をたたえる詩歌。
3)キリスト教で、神をたたえる歌。頌栄。
ラダビノート・パル (ラダビノード・パール:Radhabinod Pal1886-1967)
インドの国際法学者。ベンガル州出身。カルカッタ大学・理学修士取得。カルカッタ大学法学部卒業。
1923年〜1936年カルカッタ大学法学部教授。1941年カルカッタ高等裁判所判事。1944年カルカッタ大学副総長。1946(昭和21)年極東国際軍事裁判(東京裁判)の印度代表判事。この裁判で多数意見に対して国際法・英米法・証拠法に基づき被告人全員無罪の少数意見を提出した。のち国際連合司法委員会議長など歴任。1966(昭和41)年10月四度目の来日。その際、一等瑞宝章授与。
国家として行われた行為の責任を個人に負わせることは不可であるとの立場であるそうです。
(これは日本無罪論として紹介しているものもありますがそれはパルの本意ではないとのことだと)
原爆ドーム1回目の保存工事{1967(昭和42)年}のため“原爆ドーム保存募金”に協力されています。
参拝した9月15日は、台風18号の影響で朝からあいにくの雨でした。
わたしは、原爆関連の慰霊碑を巡りだした2000年頃までは、パール博士はおろか東京裁判のことも碌に知らなかったのです。広島の平和記念公園に建立されている“原爆死没者慰霊碑碑文”の主語をめぐる論議があった事などを知り、2005年広島の(光瓊山)本照寺を訪ね1952(昭和27)年建立の「大亜細亜悲願之碑」をみてパール博士の事を少し知りました。
その後、ここ靖国神社にここで取り上げた2005(平成17)年に「パール博士顕彰碑」が建立されたことを知りましたので、機会があったら拝見したいと思っていたのです。
  関連頁:(光瓊山)本照寺
13.11.01.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都千代田区九段北3-1    靖国神社遊就館前

13.09.15.撮影
碑は、2005(平成17)年建立

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影































































































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