(靖国神社)大熊氏廣作:兵部大輔大村益次郎銅像

  東京都千代田区九段北の靖国神社に建立されている「兵部大輔大村益次郎銅像」です。
※像の作者は、大熊氏廣(1856-1934)です。
大村益次郎は1824(文政7)年、周防国鋳銭司村(現・山口県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といいました。広瀬淡窓(1782-1856)について儒学を、緒方洪庵(1810-1863)について蘭学を学び、嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。さらに江戸に出て私塾「鳩居堂(きゅうきょどう)」を開き、幕府の講武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めました。
ついで桂小五郎(1833-1877)の推薦により長州藩に仕え、1866(慶応2)年第二次長州征伐の折に、石州口の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びました。戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改める事を主唱したため攘夷主義者を刺激し、京都出張中の1869(明治2)年9月、不満士族に襲われて重傷を被り、同(明治2)年11月5日大阪にて歿した。46歳。
  1869(明治2)年6月、戊辰戦争の戦歿者を祀る東京招魂社(現・靖國神社)の創建に際し、社地選定のため同月12日、この地を視察したことも記録に見え、靖國神社創建者としての功績は大きく、1882(明治15)年、伯爵山田顕義(1844-1892)らにより銅像が建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣(1856-1934)に塑型の製作が委嘱されました。
大熊氏廣は1876(明治9)年、工部美術学校の開設と同時にその彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザ(1841-1927)の薫陶をうけ、1882(明治15)年に首席で卒業しました。卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻製作に従事、1885(明治18)年に大村益次郎の銅像製作を委嘱されると、この任を重んじ彫刻研究のため欧州に留学し、パリ美術学校ではファルギエルにつき、ローマ美術学校ではアレグレッティ、さらには巨匠モンテヴェルデに入門しました。大熊氏廣の帰朝後、漸く1893(明治26)年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立されました。
大熊はキヨソネ(伊:1832-1898)の描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったといわれています。陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれています。後に大熊は、有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王などの彫像を制作し、文部省美術展覧会審査委員を務めました。
明治26(1893)年2月5日竣工  
明治42(1909)年7月26日大村徳敏他献納
塑像:大熊氏廣  鋳造:東京砲兵工廠
碑文:内大臣従一位大勲位公爵三條實美(1837-1891) 撰書
大村益次郎 (おおむらますじろう:1825-1869)
幕末の兵法家。山口・周防の人。通称永敏(ながとし)。一時村田蔵六と名乗った。
戊辰戦争(1868-1869)にすぐれた軍事指揮を執った。日本の兵制の近代化に尽力したが、反対派浪士に襲われて死亡。
* 兵権を天皇に帰属させた全国常備配置の「御親兵」を編成し、ゆくゆくは国民皆兵をもって財政と両立させること、当面は仏式軍制に拠りつつ、国軍の基礎を建設する構想を実行に移すべく1869年7月視察に西下したが、その政策は、武士層の特権剥奪、洋式模倣の弊害をもたらすとして攘夷派の敵意を集めており、同(1869)年9月、同じ長州の不平分子らに京都の旅宿で襲撃され負傷、11月5日敗血症で死去。
その遺志は、山県有朋(1838-1922)ら長州系軍政家に継承され、やがて徴兵令の制定に発展していきました。
(雨の中で)靖国神社から千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行こうととしていた時、雨に煙った幅広い靖国神社参道の真中に建つこの像が遠くから見えました。(帰宅後みた)靖国神社のweb siteには『近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した大村益次郎の銅像』と紹介していました。
広島の比治山公園には、海軍大将で総理大臣を務めた加藤友三郎(1861-1923)銅像が建立されたそうですが、戦時中の金属供出で現在は台座だけが残っている状態なのですが、ここ靖国神社の大村益次郎像は近代日本陸軍の創設者としてなのでしょう、金属供出もされずその姿をいまに残しています。
13.11.04.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都千代田区九段北3-1  (靖国神社参道)  

13.09.15.撮影
中門鳥居

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影



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