熊谷喜美子作:桃花流水

  東京都千代田区九段南の千鳥ヶ淵緑道に建立されている「桃花流水」です。
※像の作者は、熊谷喜美子です。
“桃花流水”によせて                  熊谷喜美子
紀元4〜5世紀、官職を捨てみずから農耕にたずさわった中国の詩人哲学者、陶淵明(365-427)の著書「桃花源記」より引用。
大河の支流に道を見失った一人の漁夫が、今を盛りと咲き香る美しい桃の林に迷いこみ好奇心にかられて、なおも奥地の水源へと船を進めると、そこには、光り輝くユートピアがあった。広々とした土地、良田、美池、桑竹畑、楽しそうに働く男女の歌声、それはそれより五百年前、秦の始皇の虐政を逃れた子孫が、美しい谷間に、住みつき、世間との交渉を断ち、完全な調和と、平和の社会をなして安穏に暮らしていた姿だった。やがて、男は故郷へ帰るが、のちに二度とこの地を探しあてることはできなかった。
平和な地で、万物を深くやさしく愛し続ける女達の一人が、収穫の甘き桃を持ちて、水辺に立つ姿を、男は生涯胸にいだきつづけた。
熊谷喜美子(くまがい きみこ:1948-   )
彫刻家。富山県出身。金沢美術工芸大学彫刻科卒業。
1987(昭和62)年日展で「蜜と娘」特選受賞。 2012(平成24)年富山県彫刻家連盟委員長。
陶淵明(とう えんめい:365-427)
中国、六朝時代の東晋の詩人。江西の人。名は潜。淵明は字(あざな)。一説に名は淵明、字は元亮(げんりょう)。
官職に就いたが、束縛を嫌い、彭沢(ほうたく)県の県令を最後に「帰去来辞(ききょらいのじ)」を作って官を辞し、故郷へ戻った。自然を愛する田園生活を送り、すぐれた詩を残した。詩では「飲酒」、文では「桃花源記(とうかげんき)」が有名。五柳先生。
(江戸城の内堀)千鳥ヶ淵沿いが緑地帯として整備されていて、ここを進めば“千鳥ヶ淵戦没者墓苑”にいけるなと思った時に、その緑地帯の中に野外彫刻をみたので、撮影しました。
緑地帯の中に野外彫刻が点々と展示されているのかなと思いましたが、千鳥ヶ淵戦没者墓苑・東門のところまでには、この作品以外はありませんでした。
まだ雨は降っていましたので、画像に雨粒が写っていますがお許し願っておきます。根際に作者の言葉が説明板として設置されていました。
13.11.20.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都千代田区九段南2  千鳥ヶ淵緑道

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影



「東京ぶらり散歩」編



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広島県以外の野外彫刻


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