千鳥ケ淵戦没者墓苑

  東京都千代田区三番町に建立されている「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」です。
先の大戦における
  海外主要戦域別
戦没者数一覧図

概数
2,400,000人

主要戦域:
(本土周辺、満州、中国、フィリピン、東南アジア、太平洋・ソ連)

安置戦没者数:358,260柱
  (平成25年5月現在)
ここ千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、先の大戦において海外で亡くなられた戦没者の御遺骨を納めるため、昭和34(1959)年3月28日、国により建設された「無名戦没者の墓」です。
ここに納められている御遺骨は、昭和28(1953)年以降政府派遣団が収集したもの及び戦後海外から帰還した部隊や個人により持ち帰られたもので、軍人軍属のみならず、海外において犠牲となられた一般邦人も含まれており、いずれも遺族に引き渡すことのできないものです。
納骨室について
御遺骨は、六角堂の中央に置かれた陶棺の下の地下納骨室及び平成3(1991)年3月及び平成12(2000)年3月に増設された六角堂奥正面の地下納骨室に安置されております。
陶棺について
陶棺は、型式をわが国古代豪族の棺に模したもので、主要戦域から収集した小石を材料として、1,700度の高熱で処理した、重量5トンの世界最大級の陶製品です。この中に、昭和天皇御下賜の金銅製茶壷形の納骨壷があり、戦没者を代表する御遺骨が納められています。
厚生労働省・環境省
環境省自然環境局の資料では上記以外に
『面積16ヘクタールの苑内には、樹木が鬱蒼と茂り、その利用形態にふさわしく、静かで荘厳な公園です。
当墓苑の敷地は約5,000坪。常緑樹を主とし、そこに欅など落葉樹を混えるといった戦没者墓苑に相応しい厳かさ、静けさを保つ工夫がなされました。
創建当時、細く低かった樹木は大きく成長し、特に、楠、欅などは鬱蒼と生い茂り、この墓苑の厳かさを一層感じさせてくれます。』
と紹介しています。
雨の中で靖国神社を参拝した後、千鳥ヶ淵緑道をぶらりしながらそろそろ「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」かなと思った時に、パトカーが(東門の先に)止まっていました。パトカーが常駐している?のかなと横目でみながら、墓苑内に入りました。
わたし以外に訪れている方がいなかった雨の中の千鳥ヶ淵戦没者墓苑でした。
六角堂の屋根の下で傘をたたみ、黄色い菊一輪(@100円/本でした)を献花台にささげ、しばし頭を垂れました。
昭和天皇、今上陛下(平成天皇)の歌碑が建立されていましたので撮影しました(別頁で編集します)。
この後、九段下から東京メトロの東西線に乗り茅場町で日比谷線に乗換え八丁堀でJR京葉線に乗換え(夢の島に展示館がある)第五福龍丸へ行こうと計画していました。
13.11.14.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都千代田区三番町2     (千鳥ヶ淵緑道から)東門

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影
六角堂

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.16.撮影
増設された納骨室

13.09.16.撮影

13.09.16.撮影
今上陛下御製の碑(2019年4月30日以降退位され「上皇」) 昭和天皇御製の碑

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影
南門から出て行きました



「東京ぶらり散歩」編



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千鳥ケ淵戦没者墓苑
今上陛下御製の碑(2019年4月30日以降上皇)
昭和天皇御製の碑




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