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東京都江東区夢の島の第五福竜丸展示館敷地内に建立されている「久保山愛吉記念碑」です。 |
久保山愛吉 (くぼやまあいきち:1914−1954) |
漁船員(第五福竜丸の無線長)。
1954(昭和29)年3月1日南太平洋ビキニ環礁付近で操業中の第五福竜丸で、米国の水爆実験の「死の灰」をあびる。半年後被曝による黄疸が悪化して9月23日死去。
『原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい』(辞世のことば)
久保山愛吉さんの死を契機に原水爆禁止運動がたかまりました。 |
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第五福竜丸の事件以後、「死の灰」*という言葉が一般に広まり、子どもであったわたしでさえ、水爆実験の死の灰が雨に混じっているので雨に当たってはいけないと親から云われていたことを思い出します。 |
*特に、ストロンチウム90やセシウム137は永く残留して造血器官や生殖器官に重大な影響を及ぼすそうです |
久保山愛吉さんが静かに皆に訴えた言葉は、原水爆実験ではありませんが2011(平成23)年3月11日の福島第一原子力発電所事故でもろくも崩れたといえるのではないのかと(わたしは)思いながらこの碑の前で佇み頭を垂れました。 |
13.12.09更新 13.11.22.裕・記編集 |