(池上本門寺)前田利家室の層塔

  東京都大田区池上の池上本門寺に建立されている「前田利家室の層塔」です。
     大田区文化財      前田利家室の層塔
この塔は、前田利家(1538-1599)の側室・寿福院(1570-1631)が、元和8(1622)年に自身の逆修供養のために建てた十一重の層塔です。このことは当寺15世(復歴)目樹の銘文でわかります。
寿福院は、3代加賀藩主・利常(1594-1658)の生母で、豊臣秀吉(1536-1598)没後、徳川家との微妙な臣従関係を解決するために、江戸に差し出され、人質となりました。
現在、相輪と上部の数層を失って、わずか五重を残すのみです。屋蓋(おくがい)の反り具合からみて様式的には古い形を示し、注目されます。
なお天保4(1833)年の修復銘もあります。
1974(昭和49)年2月2日指定   大田区教育委員会
前田利家 (まえだとしいえ:1538-1599)
安土桃山時代の武将。加賀藩の祖。尾張の人。幼名:犬千代。幼少より織田信長(1534-1582)に仕える。
1583(天正11)賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家(1522-1583)についたが、のち豊臣秀吉(1536-1598)と和を結び、金沢に封ぜられた。五大老の一人として秀頼(1593-1615)を補佐したが、秀吉没後一年にして死んだ。
寿福院 (じゅふくいん:1570-1631)
加賀藩祖前田利家の側室。3代藩主前田利常の母。朝倉氏家臣上木新兵衛の三女。
熱心な日蓮宗徒だったそうで、1601(慶長6)年養仙院日護上人を招いて金沢に経王寺を創建。
1631(寛永8)年加賀藩江戸屋敷にて死去。池上本門寺で荼毘に付された後、金沢の経王寺にて再び葬儀が行われ、能登の妙成寺に納骨された。法名「寿福院殿華岳日栄大姉」。
事前に池上本門寺のweb siteなどをみて、せっかく訪れるのだからと見どころを下調べをしました。しかし、ここで取り上げた「前田利家室の層塔」は、本門寺を訪ねた時に偶然出合い、大田区教育委員会の説明板(上記)が設置されていました。
(広島の)浅野二代藩主光晟(1617-1693)の夫人満姫(自昌院)は前田利家の孫ということを知っていましたので、少しばかり縁がある層塔だと思いましたので、撮影したのです。
13.12.16.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都大田区池上1-1-1

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影



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