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東京都港区高輪の泉岳寺にある「首洗い井戸」です。 |
赤穂義士が本懐成就後、吉良上野介の首級(しゅきゅう)をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれているそうです。 |
吉良義央 (きらよしなか:1641-1702) |
江戸中期の幕臣、高家筆頭。通称:上野介(こうずけのすけ)。
1701(元禄14)年勅使接待役の赤穂藩主浅野長矩(1667-1701)を辱(はずか)しめ、江戸城中で長矩に切られて負傷、御役御免となる。翌(1702)年大石良雄(1659-1703)ら赤穂義士に討ち入られ、殺された。
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首洗い井戸周りの玉垣に、「川上音二郎(1864-1911)建之」とありましたので、明治期になって整備されたのだろうな〜と(わたしは)思いました |
現在、1925(大正14)年に建てられたという講堂が横にあったり、四十七士のお墓があったりしますが、赤穂義士が本懐を遂げここにやって来た時のことなどを考えながら現在落下防止網が付けられた井戸をみました。 |
13.12.09.裕・記編集 |