野外彫刻:オランダ船「デ・リーフデ号」

  東京都千代田区丸の内の丸ビル南側に展示されている野外彫刻にされたオランダ船「デ・リーフデ号」です。
オランダ船「デ・リーフデ号」
本彫刻は1980(昭和55)年4月22日、オランダ王国ファン・アフト首相(在任:1977-1982)来日の際、同首相よりオランダ王国政府に代わり、日本国政府に対し寄贈されたものです。
本彫刻のモデルとなった蘭船デ・リーフデ号は、1600(慶長5)年4月19日豊後臼杵湾北岸佐志生(現在の大分県臼杵市)に漂着しましたが、同船の乗組員であったオランダ人ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステインは、時の将軍徳川家康(1542-1616)に顧問として仕え、わが国ではその名も八重洲*として知られ将軍よりこの地域に住居を与えられました。
リーフデ号 (De Liefde:オランダ語で“愛”)
日本に初めて来航したオランダ船。300トン。船長はクワッケルナック。
マゼラン海峡を経て東インドに向かう途中、1600年日本の豊後臼杵に漂着。航海長はイギリス人のウイリアム=アダムス。
ヤン・ヨーステン (1557?-1623)
オランダの貿易家。日本名は耶楊子(やようす)。
1600年リーフデ号でアダムズ(三浦按針)とともに豊後に漂着。徳川家康に信任されて江戸に居住。日本人と結婚。朱印状を受けて朱印船貿易に活躍した。
*八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子」に由来します。
三浦按針(みうらあんじん:1564-1620)
日本へ来た最初の英国人といわれるウィリアム=アダムズ(William Adams)の日本名。
オランダ船リーフデ号の水先案内人として1600(慶長5)年豊後に漂着、外交顧問として徳川家康(1542-1616)に仕え、相模三浦郡に所領を与えられた。
復原された東京駅丸の内駅舎を道路(東京都道402号)を挟んで北側から南側に撮影しながら歩いていた時、昔の丸ビル(1923-1999)が2007年4月に新しく新丸の内ビルディングになったのだなと思いながらふりかえった時にみた野外彫刻でした。
近づきみると台座に説明板(上記)があり、八重洲の名の由来となった「ヤン・ヨーステン」の事などを知りましたので、この彫刻の作者はわかりませんでしたが、撮影したのです。
13.12.27.裕・記編集

13.09.15.撮影
東京都千代田区丸の内2-4-1 (丸ビル南側)

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影



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