丸亀市のマンホール蓋
  香川県丸亀市でみた丸亀市のマンホール蓋を取り上げました
1890 (明治23)年2月15日 市町村制施行で、那珂(なか)郡に丸龜町が設置されました。
1899 (明治32)年4月1日 仲多度(なかたど)郡丸龜町が市制施行により丸龜市となりました。
2005 (平成17)年3月22日 (旧)丸亀市、綾歌郡綾歌町、飯山町が合併し、(新)丸亀市となりました。
旧丸亀市の市章
『丸龜町は、1893(明治26)年7月25日町会において、町の徽章を制定する旨を議決し、 香川弥兵衛、本間重明、大塚一格の3人を委員に選出、調査・研究の後、京極家の馬印(のちに船印にもなった)にちなんで、 「立鼓(りゅうご)」にすることが決定しました。
1899(明治32)年丸龜市になったときも、市章として受け継がれた』そうです。
新丸亀市の市章
2005(平成17)年合併に際し、新市市章デザインの一般公募を行い、応募者1,329人、応募作品は2,464作品から大阪府堺市の土肥純一朗さんの作品が最優秀賞に選ばれ、市章として採用されました。
作者はデザインの趣旨を、『旧丸亀市、旧綾歌町、旧飯山町をそれぞれワンピースと考え、1市2町が合併することにより、一つの完成された図案を構成し、強い団結と広がりを表し、新生丸亀市のシンボルを形作っています。さわやかなブルーをシンボルカラーとし、自然豊かな都市に吹くそよ風を表します』だそうです。
丸亀をぶらり散歩した日はあいにくの雨天でしたが、撮影に支障がない限りマンホール蓋も撮影したいと思ったのです。最初に掲載した旧市章も鋳込まれたカラーマンホールは雨の中での撮影でしたので、巧く撮影できていませんといういい訳からはじめる事になりました。
みたほとんどが旧丸亀市の市章「立鼓」で京極氏の馬印だったことを帰宅後わかりました。
いまの丸亀市市章は丸亀市のweb siteにその経緯、市章図がありました(上記)ので参照しました。
丸亀でわたしがみたマンホール蓋が(平成の大合併の都市がそうであるように)旧市章が鋳込まれたマンホール蓋でした。ただし、消火栓の蓋には新しい市章が鋳込まれている処をみた他市もありましたので、ここ丸亀市もと思い消火栓の蓋を探し撮影しました。これには新丸亀市市章が鋳込まれていました。
14.04.07.裕・記編集

13.08.30.撮影
丸亀城や市章を描いた団扇がデザインされたカラーマンホール蓋

13.08.30.撮影

13.08.30.撮影

13.08.30.撮影
旧丸亀市章のみのマンホール蓋 旧丸亀市章のみのマンホール蓋

13.08.30.撮影

13.08.30.撮影
汚水(用)マンホール蓋 汚水(用)マンホール蓋

13.08.30.撮影

13.08.30.撮影
仕切弁100 仕切弁150

13.08.30.撮影
(旧丸亀市市章の)下水道マンホール蓋

13.08.30.撮影
新丸亀市市章が鋳込まれた消火栓の蓋



「香川県丸亀市」編



(広島ぶらり散歩)
「マンホール蓋」編


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