宮尾山八幡宮
  島根県邑智郡邑南町下口羽に鎮座している「宮尾山八幡宮」です。
宮尾山(みやおやま)八幡宮祭神は、仲哀天皇(足仲彦命)、応神天皇(誉田別命)、神功皇后(気長足姫命)、玉依姫命、大元神(豊受毘売)命)です。(境内に祭神を記した標識が設置されていました)。
一般的に八幡宮が祀るのが、応神天皇で、両親である仲哀天皇、神功皇后の三神が祀られていることが多いので、玉依姫命、大元神はこの神社創建後に合祀されてきた神様かなとわたしは思いました(が、由緒を記した標識を探すことができませんでしたので、いまのわたしにはこの神社の由緒はわかりません)。
本殿の屋根の棟に、毛利氏家紋「一文字に三つ星」がありました。
宮尾山の麓に位置するのでしょう、この八幡宮に石段を上った処で、随身門がありその中に(俗に)右大臣・左大臣と称される二神が祀られていましたので、口羽村と称されていた時代から格式高い神社だったのだろうと(わたしは)感じました。
島根県に位置する宮尾山八幡宮ですが、
(広島県商工労働局観光課製作の)広島県観光ナビに毛利元就ゆかりの地として、この宮尾山八幡宮の記述*もありましたので、下記に紹介します。
『琵琶甲城(びわこうじょう)は、毛利元就四奉行【吉川元春(1530-1586)、小早川隆景(1533-1597)、福原貞俊(1512-1593)、口羽通良(1513-1582)】の一人口羽通良の居城で矢羽城ともいいます。
1529(享禄2)年毛利元就(1497-1571)は尼子氏に帰服したとして、阿須那(あすな)にある藤掛城の高橋興光を滅ぼしました。そのあと、毛利氏家臣、志道元良の二男通良が口羽に封ぜられ、 在地名を名乗って口羽通良と称しました。通良は、琵琶甲城を築いて居城として、のちに毛利四天王とも称されました。
この城は、赤名を経て出雲、都賀(つが)を経て石見銀山、 安芸国川根から吉田郡山城へと続く毛利氏の軍事・経済・交通の要衝にあたり、出雲地方への進出の拠点となった城で、天険の地形を利用して、本丸、二の丸の外に延びる尾根に夫々多くの郭や空掘、堅堀を設けています。
城の麓に宮尾山八幡宮、祈願寺として真言宗延命寺、城主の菩提寺臨済宗宗林寺を配し、中世城地の模式的な構えが現存しているのは、島根県下でも珍しいと思われます。』ということでこの地周辺の事を紹介しています。
旧道から少し入った処に位置しているこの宮尾山八幡宮、場所が分からず、尋ねる人がいないかとチトうろついている時、ご近所の方がおられましたので、八幡宮に参拝に行きたいのですが場所が分からないのですと云うと、近くまで案内しましょうと、わざわざ石段の下の鳥居が見える処まで案内してもらいました。
後日、いまは広場になっているこの地に口和小学校があったことを知りました。奥野誠亮文部大臣(在任:1972-1974)揮毫の「創造」碑がその面影をこんにちに伝えているものでした。
14.02.02.裕・記編集

13.10.19.撮影
島根県邑智郡邑南町下口羽2051

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随身門

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社殿

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本殿棟に、毛利氏家紋「一文字に三つ星」がありました 本殿祭神



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宮尾山八幡宮
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